この間久しぶりに友人とタロットの話をしたもので、改めて1枚1枚見て行ったりしたら面白いかなあと思って、気になったカードについて自分のイメージなんかを投稿していきます。 修行、忍耐、自己犠牲、試練などの意味で語られることの多い、【THE HANGEDMAN(吊るされた男、吊るし人)】のカード。 ウェイト版タロットの【THE HANGEDMAN(吊るされた男、吊るし人)】は、北欧神話の最高神オーディンがモデルとなっているという。ルーン文字の秘密を得るために、グングニル(槍)で突き刺されたまま、ユグドラシル(世界樹)の枝に9日間首を吊ったという。(縄が切れて命を取り留めている) ウェイト版の吊るされた男を見ていると、男の表情もあってか、一癖も二癖もありそうな人物が思い浮かぶ。身体は拘束されているのに、頭部には後光がさしており思考は自由に無限大に広がっているイメージ。吊るされた男の次のカードは、死神なので、彼は死に向かっている。しかし物理的な死は終わりではなく変容を意味しており、イニシエーションだということを彼は知っているようだ。 自分を違う何かに変化させたいがため、新たな知見を得たいがために、敢えて吊るされに行く。身動きの取れないような困難な状況や、人間関係の中に自分を置いたりする人物が思い浮かぶ。しかもそれをどこかで楽しんでいるような。 勝手なイメージだけどトート版はもっと自己犠牲に没入していく、殉教、解脱や変容というイメージが強調されるような気がする。足の組み方から、4番の皇帝のカード=物質世界との対比も感じる。肉体や物質、形あるものにがんじがらめになっているうちは、自由にはなれない。無我の境地。しかし反対に膨大なイメージの海を自由に泳げても、この世界では肉体を通さないとイメージは具現化できない。世知辛いものです。笑 それと吊るされた男のモデルとしては、オーディンだけでなく、イスカリオテのユダもある。古いカードの図象には、吊るされた男が金貨袋を持っているものがあるようで、「裏切者」「反逆者」の名前がついている。それは正しく銀貨30枚でキリストを裏切ったユダを連想させる。ユダの最期は、その銀貨を神殿に投げ込んで首を吊ったという話や、得た銀で買った土地に真っ逆さまに落ちて内臓が全て飛び出て死んだというような話で締めくくられている。 でも吊るされた男の意味を考えると、ユダというよりは自己犠牲で命を捧げた、殉教者キリストのほうな気もする。 何にせよ、1枚のカードから色んな象徴にアクセスできる、引き出せるというのは、タロットの面白みだと思うのである。
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昨年の秋ごろに引っ越しをしまして、隣町から自分の生まれ育った町、会津若松市に戻ってきました。年明け早々、とても個人的な話ではあるのですが、生まれた土地の神々とのご縁というのを感ぜずにはいられない出来事があったので、忘備録的に記しておきます。今年の元旦のことです。0時過ぎの年明け早々、若松市内に住むのは初な夫氏もいるし、せっかくだから、いろいろ地元の寺社仏閣を初詣でしようということになり、深夜の散歩に向かいました。今住んでる場所の氏神様、田中稲荷神社、神明神社、鶴ヶ城(元旦に行くと焼き印の入った杓文字もらえる)と色々回りまして、それで最後、家に帰る道すがらもう一社寄ろうと、八角神社に寄ったのでした。八角というと、多分市外の人は「はっかく」と読んでしまうと思うのですが、「やすみ」と読みます。そして私たちは、八角神社を「おやすみ様」と呼んでいます。
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あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い致します。2024年が皆様にとって幸多き年になりますように!
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3月に書いていた記事をタイミング逃してそのまま下書きフォルダに入れていたのですが、成仏させるために(笑)このタイミングで加筆修正して公開します。 3月の誕生月に、出張で都内に約1週間ほど滞在しており、その機会を使って、仕事終わりに、某先生に占星術で個人鑑定をお願いして、濃厚なお話が聞けたのと、別な先生の12星座の講座で魚座の回を聴講したことにより、改めて己の特性<魚座的なもの>を深く認識することとなりました。それにより、自分の特性をもっとうまく活かしていきたいと思うようになりまして、そのあたりのことを、魚座のことと絡めて取り留めもなく綴ってみたいと思います。
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2021年の夏ごろから、カウンターカルチャーの歴史とか背景について興味を抱くようになってきました。 近現代史より、縄文~古墳時代にロマンを感じていた私でしたが、魔術や占星術を学ぶうちに60年代~80年代のカウンターカルチャーからニューエイジの文化史が気になってきて、その辺のこと詳しく知りたい~と思っていました。 そんな2021年の秋、某先生がZoomでの占星術講座で、トランスサタニアンを扱うとのことで、これは絶対に受講したいと申し込んだのですが、 そのトラサタの講座で50年代~カウンターカルチャー~ニューエイジカルチャーへ至るアメリカ文化史のことをさらりと、しかしとても分かりやすく説明されていて、とても興奮したのでした。 なぜ、カウンターカルチャーが気になりだしたかというと、NHKの特集で、LGBTの歴史において象徴的な1969年のストーンウォール事件のことを取り上げた特集が放送されていたのを偶々見て、前時代の慣例をぶち壊すようなこの時代特有の爆発的なエネルギーに何か感銘を受けたからなのでした。 また別な某先生の講座を受講した折に、有名人のサンプルチャートで、スティーブ・ジョブズの話になり、「パソコンとヒッピー」という本が話題になりました。 自分の中のヒッピーのイメージはというと、反戦、フリーセックス、LSD、自然回帰というイメージで、むしろテクノロジーとは逆行した人々のことだと思っていたのですが、ヒッピーの中にもジッピーやテクノヒッピーと呼ばれるような、テクノロジーの進歩が人間の能力を拡大し社会を変革するという考えの人たちがいたということ、 その当時、コンピューターは、大企業や軍などが中央制御するための「権威」としての象徴でした。 その権威に反抗する形で、コンピューターが個人を開放するツールになると考えた若者たちが「パーソナル(個人の)コンピューター」を作ったというのを知り衝撃を受けました。 私個人としては、ヒッピーに対してあまり興味がなかったし、そんなに良いイメージ持ってなかったのだけど(近代科学を否定し、強いオーガニック信仰を持ち、○麻とかやってるという勝手なイメージがありました、すみません)しかしこのパーソナルコンピューターをはじめとするテクノロジーが個人を開放するという思想には、強い共感と憧れを持ったのでした。 占星術で言えば古い権威は「土星」、権威に反抗し、既存のものを破壊して新しいものを創るというのは「天王星」の役割。 個人的には行きつく先がディストピアだとしても、カウンターカルチャーのイメージにぴったりくるのは、自然回帰ではなく、良きにつけ悪しきにつけテクノロジーによる個人の拡張な気がします。 心理学者のティモシー・リアリーは、1966年に”Turn on, tune in, drop out “(スイッチを入れ、波長を合わせ、脱落しろ)というスローガンを作ったそうですが、晩年彼は「パーソナルコンピューターは90年代の新しいLSDだ」と提唱し、”turn on, boot up, jack in” (「電源を入れ、起動して、接続しろ」という新しいスローガンを提案したそうで、 何それ~~痺れる~~と思ったのでした。笑) 60年代~70年代独特の狂乱の時代は、その時代を生きていない私にも、とても魅力的に映ります。若者が力を持っていた時代。彼らの思想=未来を自分たちの手で変えていこう、きっと明日には、、という熱のようなものは、保守的で内向きな現代の私たちの心にも、何か小さな灯りのようなものを点してくれるような気がします。 あ、NHKで放送しているこのシリーズも大好きで見ています。その時代時代のカルチャーって本当におもしろいな。
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オンラインショップのトップ画像などを自分で撮った写真から、話題のmidjourneyでAIに描いてもらった絵に変更しました。今後またいいなと思う写真が撮れたら差し替えます。 しかし色んな画像生成AIありますね~。私はmidjourneyしか試したことはないのだけども。midjourneyの洋風ダークファンタジーな感じが好きでね。 あと画像生成AIを脅威に感じる人もいるみたいだけど、それを脅威に感じるということがディストピアものっぽくて、妙にワクワクしてしまう。…と言ったら不謹慎になるだろうか。一寸先が見えなくても、新しいことは試したいし、新しいテクノロジーや技術を楽しみながらそれを活かすほうが面白いと思うのだ。
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偏らないようにしたいと思うあまり、ものすごく偏った窮屈なものの見方になっていたナァと気づく水星逆行のこのごろ。世界を斜めに切り取るのをそろそろ辞めろよ、自分の傷を持て余してんなよ。と、おれはおれに言いたい。 逆行中に何かが突発的に起きるというよりは、逆行前に見過ごしていたミステイクや不具合が、うまくいかなくなるのが逆行で、それの調整をする期間だというのを、誰かのツイートで見たけれども、本当にそうだなぁと思う。あと懐かしいものを見直すというところで、昔の写真を整理したり、コロナで3年行けてなかった推しのコンサートへ。あの頃の感覚を蘇らせるということをやってました。エモ。 ブログを新しいものへじわりじわりと移行していっています。時折ブログやHPやハンドルネームとかを一新させたくなる冥王星的衝動。SNSやブログで発信しているからには、不特定多数に見られることが前提なのだけども、自分という虚像がひとつのかたちをとり始めると、突如としてそれをぶち壊して誰も知らないところで一からやり直したくなる。 それで新しいところに少しずつ来ているわけだけども。もっと呟きみたいな投稿でもよいのかと思ってます。
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何かから逃げて、地下への重厚なエレベーター、降りたその先に異世界への出発ゲート 仲間と共に原始的異世界への逃避 出発ゲートのロビーにはたくさんのお土産物が用意されていてその中から私は淡い金色のワンピースを手にする花の形のビジューで彩られた素敵なワンピース向こうに着いたら不必要な気もするがこういうものは向こうに無いから、思い出として向こうで着ようと思う ゲート前に立ち、さあこれからいざ出発! ・・・というところで目が覚めてしまいました。がっかり。笑 夢の中で何かに追われるような、パニック映画さながらの夢をよく見るのですが追われて逃げていくと、1回の夢で逃げ込む先や場面がめちゃくちゃ移り変わっていって、その場面ごとに空気感ががらりと違っているのが面白いというか。そして結末は、だいたい逃げ切れずに捕まって終わりか、逃げている途中で目が覚めるというのが定番なのだけど、ふと、これって地上や自分の肉体から離れて、意識?や夢の階層がどんどん深くなったり(移行したりしている)ことなのでは?と妄想めいたことを考えてしまいました。 本日、37回目の誕生日を迎えました。魔術的目覚めで大変気分がいいです。 今年一年、金色のワンピースを纏って、より変態的にオタク道つきつめていこうと思います。あと記事ももっと書くようにします。笑
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あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。 令和3年が皆様にとって素晴らしいものとなりますように☆。.:*・゜
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https://atcanum.thebase.in 2020年もarcanumをご愛顧頂きまして誠にありがとうございます。本当にお世話になりました。 オンラインショップに先程、今年最後の商品をアップしました(^^)ザギマウンテンクォーツと、マダガスカル産の縞瑪瑙。どちらも美しい石です。 皆様、良き年をお迎えくださいませ。2021年もどうぞよろしくお願いします。 Anna