幻想を、ひろいあげ、かたちにしていく
幻想を、ひろいあげ、かたちにしていく

幻想を、ひろいあげ、かたちにしていく

3月に書いていた記事をタイミング逃してそのまま下書きフォルダに入れていたのですが、成仏させるために(笑)このタイミングで加筆修正して公開します。

3月の誕生月に、出張で都内に約1週間ほど滞在しており、その機会を使って、
仕事終わりに、某先生に占星術で個人鑑定をお願いして、濃厚なお話が聞けたのと、
別な先生の12星座の講座で魚座の回を聴講したことにより、改めて己の特性<魚座的なもの>を深く認識することとなりました。
それにより、自分の特性をもっとうまく活かしていきたいと思うようになりまして、そのあたりのことを、魚座のことと絡めて取り留めもなく綴ってみたいと思います。

…サテ、太陽・月・水星・MC魚座という魚座剛の者である私なのですが(笑)、みなさんの魚座のイメージってどんなものですか?
夢想家、不思議ちゃん、現実離れしているというようなイメージで語られることが多いように思います。それは守護星が幻想や酩酊の星である海王星だということからも想像しやすいですが、
魚座の象徴は読んで字の如く「魚」であり、足がなく、尾びれを使って水中を自由に泳ぐ姿からは、大地との繋がりは希薄なように感じられることなどからも、現実離れしているというような連想ができるのではないでしょうか。

しかし、12星座と人体の各部位との対応を見ていった時に、魚座の対応する部位は、実は<脚>になります。脚というのは、大地・現実世界と接続する大切なパーツです。魚には脚がないのに、脚がキーになるのです。
占いサイトなどで脚がウィークポイントとかチャームポイントとかそういった感じで書かれているものはよく見ますが、より深く人体との各星座の対応を見ていくと、一つの星座に対する解釈と理解に広がりが生まれるように思います。

前述したように魚座は夢想家、不思議ちゃん…というのは、我々の社会の中で生きていくのにはどちらかというとネガティブな意味合いの言葉だと思います。魚座が現実でないところを見ているという、地に足ついていないというのは、多かれ少なかれ間違いないでしょう。しかし、魚座が現実世界からまるきり切り離されたところにいるかというと、人体の部位で<脚>に対応しているということなどからも、それはそれで違うように思います。

もう少し自分の感覚で語るのであれば、魚座は、ごくごく世俗的な現実の生活を営みながらも、そこからとてもかけ離れているようなファンタジーの大海の中を即座にどこまでも泳いで行けるというようなイメージ。<肉と霊の二足の草鞋>というような感じでしょうか。
なので、大地に接続する脚を通して、夢の世界を現実に降ろす=具現化するということが、魚座にとってとても意義深いことなのではないかと思っています。

しかし、その具現化は、やはり魚座なのでお堅いやり方といいますか、世界のルールみたいなのからは逸脱している方が魚座らしい気がします。この社会に役立つ方法でとか、万人にわかりやすいように…とか。そういうのを考えたりすると途端に面白みに欠けるのではと。
それがなくても社会の機能は回っていく、無駄で意味のないものだと思われるようなもの、いわゆる音楽やアートなどを通してだとか。

ファンタジーの世界、目に見えないものから得たものを、何か遊びのようなものとしてこの世に顕現させたいと思うのと同時に、けれども、かと言って、それらをこの世界の枠組みの中に納まるような形に降ろしてきたくはないという、天邪鬼的な思いのようなものが、私の中に常にあります。
夢は夢だから美しい、夢を夢として楽しもうじゃぁないか。<あちら>にこちらの都合で名前をつけたくないというような。夢を遊ぶ心がないと、粋じゃないと思っている節があるので、どうやってその見えない世界を顕現させるのかというのは、まだ答えが出ておりません。

此岸にいて彼岸を見ている。もしくは彼岸にいて此岸を見ているような、【あはひ】とか【余白】の感覚。
こういう、余白のようなものが魚座的ではないかなとも思ったりします。
私の場合は、占星術で魚座以外の部分を見ても、どうしても<あはひ>的な要素が多いので、通常より多くそう思ってしまうのかもしれません。
…しかし!です、魚座に「ふらふらしてないで地に足着けて生きた方がいい」と言ってしまうのは、とてもごもっともなのですが、上記のような性質から推測するに、魚座の特性を殺しかねないのでは?とも思っています。
若いころは「もっと地に足着けて生きるように、」と他人から言われて、それがうまくできなくて、ほんの一寸悩んだりもしました。(ほんの一寸なのがポイントですよ)
でも、夢を見ない魚座、<あはひ>でない魚座ってどうなのよと思うのであります。
余白のない世界の味気のなさよ。

また、優しいや繊細で語られる魚座ですが、荒々しい海の一面、怒れるポセイドン、津波などのイメージからも、海が豊かで穏やかなだけのものでないことはイメージできますよね。
自分の感覚としても、魚座の私は決して優しくない、意外と好き嫌いが多いし、外には見せなくても心の海は荒れ狂っていることがあります。笑
海のようにすべてを許容する一方で、自分の染まりやすさを良く知っているからこそ、敢えて嫌いなものは徹底的に線を引くという一面もあります。(嫌いなものにも影響されたり、好きになるまではいかなくても慣れてきて嫌いじゃないかもと思い始める可能性があるので)

そして魚座といえば、眠りというようなことも聴講した講座では言及されてましたが、魚座=眠り、夢は、実感深く。
眠りが私の人生をいかに豊かにしれくれたかということは、語っても語り尽くせないぐらいです。
単に眠るのが好きなだけでなく小さい頃の記憶は現実の出来事より、夢で見た美しい景色や薄暗く恐ろしい景色の印象の方が色だけでなく音や感覚を伴って鮮やかです。
そしてその夢を日記にしたためたり、時にそれを元に物語を作ったり、絵に起こしてみたりなどして遊んでいました。
未だに、不思議な夢見たりするとブログやSNSに書き綴ったりもしていますね。

「夢見」や「想像する力」、というのをもっと楽しんでもいいのでは?というのを、最近ようやく思えるようになってきました。大げさに言いたくないのですが、所謂、霊感、霊能みたいなものに分類されるものも含め。
見えたものを無理やりに審神者するのでなく、予言や予知では決してなく、トランス状態になって見たもの聞いたもの得たものを表現するというのは面白い試みだと思うのです。
審神者せずに…と上で言いましたが、ファンタジーとして楽しむ分には、見えたものに自己流の意味づけをするのも良いでしょう、楽しむ分には。(強調)

私も夢見やイマジネーションの力をずっと無い物として過ごしてきたけど、これからは夢や白昼夢(寝てないときに見るイメージ)で見えた景色や物語を素直に表現していきたいなあと、このところ思うのです。
魚座に具現化を表す土星が入ったからか、何か目に見えないものを形にしたいという気持ちが出てきたのです。

この特性を、これからの10年どう活かしていけばいいのか。
また模索の日々でございます。

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