不思議な話
不思議な話

八角神社(おやすみさま)と私の家族史と

昨年の秋ごろに引っ越しをしまして、隣町から自分の生まれ育った町、会津若松市に戻ってきました。年明け早々、とても個人的な話ではあるのですが、生まれた土地の神々とのご縁というのを感ぜずにはいられない出来事があったので、忘備録的に記しておきます。今年の元旦のことです。0時過ぎの年明け早々、若松市内に住むのは初な夫氏もいるし、せっかくだから、いろいろ地元の寺社仏閣を初詣でしようということになり、深夜の散歩に向かいました。今住んでる場所の氏神様、田中稲荷神社、神明神社、鶴ヶ城(元旦に行くと焼き印の入った杓文字もらえる)と色々回りまして、それで最後、家に帰る道すがらもう一社寄ろうと、八角神社に寄ったのでした。八角というと、多分市外の人は「はっかく」と読んでしまうと思うのですが、「やすみ」と読みます。そして私たちは、八角神社を「おやすみ様」と呼んでいます。 到着したのが深夜2時過ぎ、さすがに境内に人も居らず、境内は静まり返っており、さっとお参りして帰ろうと思ったのですが、お賽銭箱の前に「先日、不思議なことがありました~」と書かれた謎の張り紙がありまして、つい立ち止まってしまいました。どうやら、神社の境内で心霊?神霊現象があり、それを収めた動画がYoutubeに載っているというような内容で、ムーとかオカルト大好きな夫氏が食いついておりまして。すると、拝殿の中から宮司さんが、スッと現れまして「よければ、中にお上りください」と声を掛けられたのでした。夫氏は帰ろうとしていたのですが、このタイミングでお声がけいただいたことに、何かご縁みたいなものを感じたので、お言葉に甘えさせていただき、拝殿の中に入れていただきました。 宮司さんに八角神社の歴史や不思議なお話、神霊現象の動画も見せていただきまして、宮司さんの不思議体験などもたくさん聞かせていただきました。境内で神様の悪口言った人や不敬を働いた人が怪我したり、亡くなったりした話も聞きまして、実際に神様への不敬はこういう形で影響出るんだな…と思ったのと、あと、おやすみ様現役つよつよじゃん!と改めて思ったというね、本当はご祭神どなたなんだろう、、。(公式では伊弉諾尊・伊弉冉尊の2柱なのですが)とても興味深く、結果、深夜にも関わらず長々とお話し聞かせていただいてしまいました。宮司さんは元々米沢の神社の方で、ご縁あっておやすみ様も兼任してくださっているそうです。宮司さん、とても神様を大切にされている印象で、戊辰や過去の火災などで、詳しい歴史があまり残っていない八角神社の歴史をまとめたいと思っていらっしゃるそう。以前、私も八角神社のことを少し調べたことがあって、とても古い神社で、昔は大きな神社だったようなのですが、詳しく分からないのですよね。長い歴史の流れでいろんなことが変わってしまったことは想像に難しくありません。また飲み屋街の近くにあることや、近年は近所で事件などもあったり、少し荒れているのかな?という印象もありましたが(実際にお参りすると好きだな、良い神社だなと思うのですが)、良い宮司さんに来ていただいていたのを知れて良かったなと思いました。 さて、何故おやすみ様のことをこんな風に書いているのかということなのですが、元旦の上記のちょっとした出来事を切っ掛けに、やはり、おやすみ様は自分にとって縁深い神様だなと、改めて感じたからなのです。ちょっとその辺を綴っていこうと思います。 八角神社から私の実家の位置というのは、距離的には氏子と言うには少し離れてはいるのですが、七五三、成人式と人生の節目節目では、おやすみ様にお参りして写真を撮るというのが恒例行事になっておりまして、また、小さい頃は祖母や父に連れられて毎年、おやすみ様の夏のお祭りに出かけて行ったりと、家族にとってとても思い出深い神社なのでありました。我が家が折々に、おやすみ様に通っていたのにも、実は理由があります。父が20代のころまでは、実家は今の場所ではなく、おやすみ様のすぐ傍にあり(今は雑居ビルになってますが)、元々は、おやすみ様の氏子だったのでした。おやすみ様が今より大きかった頃は、昔の家が建っていた場所は、おやすみ様の境内だったような所でした。我が家の井戸からは良い水が出たそうで(八角神社のお水なので所謂、宮水みたいなものでしょうか)そこから汲んだお水で某酒造さんがお酒を造っていたというのを聞かされておりました。八角神社の摂社に酒造りの神様である松尾社があるのも、そういったことが関係しているのかなとも思っています。 ↑実家にあった八角神社の前で撮られた写真。前列一番右が祖父。 そして更には、我が家の高祖母(祖父の祖母)は、舟石峠(滝沢峠)という、峠で茶屋を営んでいたのですが、舟石峠とは、八角神社の神様が乗ってきたという伝説の舟形の巨石の御座します峠で、その巨石の少し上の方に茶屋はあったのでした。滝澤嶺 岩越鉄道名勝案内誌(明治35年)国立国会図書館 デジタルコレクションその茶屋には、祖父が生まれるまで、曾祖父と曾祖母、そして高祖母は住んでおり、そこから偶々だと思うのですが、八角神社近く(舟石峠→旧:槻木町→旧:上六日町)に引っ越してきたのでした。また祖父だけでなく、祖母の実家も八角神社のそばにありまして、数世代前から八角神社とはご縁があったわけです。小さいころから、それを聞かされて育ってきたので、おやすみ様の存在というのは当たり前すぎて改めて深く考えることなく。大人になってからは、町中で呑んで実家まで帰る道すがら、通りかかったらお参りする程度になってしまっていました。 それが今回のことで、新年早々ハッとしたといいますか、中に上げさせてもらったのも、私が勝手にそう思ってるだけですけども、おやすみ様から「お帰り」と言われているように感じてしまったのですよね。色んな神社に行って、ブログで記事も書いたりもしましたが、今後はおやすみ様の記事を書かなくてはとも思った次第。できる限り歴史のことなども調べられたらいいな。 とはいえ、今回書けるのはごくごく個人的な自分史の確認の話で、人様が読んで楽しいわけないなと思って、今日まで途中まで書いたものを取り合えず下書き保存していたのですが、先日、会社で同僚たちが雑談しているところを通りかかったら、「八角神社」の話をしており…「私たちは、おやすみ様と呼んでいて~」というのが聞こえてきて、ブログに書こうとしてる一文と全く一緒だったもので、催促されているような気になって、これを最後までまとめ直したのでした。 八角神社 明治神社誌料:府県郷社 国立国会図書館デジタルコレクション八角神社 会津繁昌記  国立国会図書館デジタルコレクション郷社八角神社 若松郷土誌 国立国会図書館デジタルコレクション

幻想を、ひろいあげ、かたちにしていく

3月に書いていた記事をタイミング逃してそのまま下書きフォルダに入れていたのですが、成仏させるために(笑)このタイミングで加筆修正して公開します。 3月の誕生月に、出張で都内に約1週間ほど滞在しており、その機会を使って、仕事終わりに、某先生に占星術で個人鑑定をお願いして、濃厚なお話が聞けたのと、別な先生の12星座の講座で魚座の回を聴講したことにより、改めて己の特性<魚座的なもの>を深く認識することとなりました。それにより、自分の特性をもっとうまく活かしていきたいと思うようになりまして、そのあたりのことを、魚座のことと絡めて取り留めもなく綴ってみたいと思います。 …サテ、太陽・月・水星・MC魚座という魚座剛の者である私なのですが(笑)、みなさんの魚座のイメージってどんなものですか?夢想家、不思議ちゃん、現実離れしているというようなイメージで語られることが多いように思います。それは守護星が幻想や酩酊の星である海王星だということからも想像しやすいですが、魚座の象徴は読んで字の如く「魚」であり、足がなく、尾びれを使って水中を自由に泳ぐ姿からは、大地との繋がりは希薄なように感じられることなどからも、現実離れしているというような連想ができるのではないでしょうか。 しかし、12星座と人体の各部位との対応を見ていった時に、魚座の対応する部位は、実は<脚>になります。脚というのは、大地・現実世界と接続する大切なパーツです。魚には脚がないのに、脚がキーになるのです。占いサイトなどで脚がウィークポイントとかチャームポイントとかそういった感じで書かれているものはよく見ますが、より深く人体との各星座の対応を見ていくと、一つの星座に対する解釈と理解に広がりが生まれるように思います。 前述したように魚座は夢想家、不思議ちゃん…というのは、我々の社会の中で生きていくのにはどちらかというとネガティブな意味合いの言葉だと思います。魚座が現実でないところを見ているという、地に足ついていないというのは、多かれ少なかれ間違いないでしょう。しかし、魚座が現実世界からまるきり切り離されたところにいるかというと、人体の部位で<脚>に対応しているということなどからも、それはそれで違うように思います。 もう少し自分の感覚で語るのであれば、魚座は、ごくごく世俗的な現実の生活を営みながらも、そこからとてもかけ離れているようなファンタジーの大海の中を即座にどこまでも泳いで行けるというようなイメージ。<肉と霊の二足の草鞋>というような感じでしょうか。なので、大地に接続する脚を通して、夢の世界を現実に降ろす=具現化するということが、魚座にとってとても意義深いことなのではないかと思っています。 しかし、その具現化は、やはり魚座なのでお堅いやり方といいますか、世界のルールみたいなのからは逸脱している方が魚座らしい気がします。この社会に役立つ方法でとか、万人にわかりやすいように…とか。そういうのを考えたりすると途端に面白みに欠けるのではと。それがなくても社会の機能は回っていく、無駄で意味のないものだと思われるようなもの、いわゆる音楽やアートなどを通してだとか。 ファンタジーの世界、目に見えないものから得たものを、何か遊びのようなものとしてこの世に顕現させたいと思うのと同時に、けれども、かと言って、それらをこの世界の枠組みの中に納まるような形に降ろしてきたくはないという、天邪鬼的な思いのようなものが、私の中に常にあります。夢は夢だから美しい、夢を夢として楽しもうじゃぁないか。<あちら>にこちらの都合で名前をつけたくないというような。夢を遊ぶ心がないと、粋じゃないと思っている節があるので、どうやってその見えない世界を顕現させるのかというのは、まだ答えが出ておりません。 此岸にいて彼岸を見ている。もしくは彼岸にいて此岸を見ているような、【あはひ】とか【余白】の感覚。こういう、余白のようなものが魚座的ではないかなとも思ったりします。私の場合は、占星術で魚座以外の部分を見ても、どうしても<あはひ>的な要素が多いので、通常より多くそう思ってしまうのかもしれません。…しかし!です、魚座に「ふらふらしてないで地に足着けて生きた方がいい」と言ってしまうのは、とてもごもっともなのですが、上記のような性質から推測するに、魚座の特性を殺しかねないのでは?とも思っています。若いころは「もっと地に足着けて生きるように、」と他人から言われて、それがうまくできなくて、ほんの一寸悩んだりもしました。(ほんの一寸なのがポイントですよ)でも、夢を見ない魚座、<あはひ>でない魚座ってどうなのよと思うのであります。余白のない世界の味気のなさよ。 また、優しいや繊細で語られる魚座ですが、荒々しい海の一面、怒れるポセイドン、津波などのイメージからも、海が豊かで穏やかなだけのものでないことはイメージできますよね。自分の感覚としても、魚座の私は決して優しくない、意外と好き嫌いが多いし、外には見せなくても心の海は荒れ狂っていることがあります。笑海のようにすべてを許容する一方で、自分の染まりやすさを良く知っているからこそ、敢えて嫌いなものは徹底的に線を引くという一面もあります。(嫌いなものにも影響されたり、好きになるまではいかなくても慣れてきて嫌いじゃないかもと思い始める可能性があるので) そして魚座といえば、眠りというようなことも聴講した講座では言及されてましたが、魚座=眠り、夢は、実感深く。眠りが私の人生をいかに豊かにしれくれたかということは、語っても語り尽くせないぐらいです。単に眠るのが好きなだけでなく小さい頃の記憶は現実の出来事より、夢で見た美しい景色や薄暗く恐ろしい景色の印象の方が色だけでなく音や感覚を伴って鮮やかです。そしてその夢を日記にしたためたり、時にそれを元に物語を作ったり、絵に起こしてみたりなどして遊んでいました。未だに、不思議な夢見たりするとブログやSNSに書き綴ったりもしていますね。 「夢見」や「想像する力」、というのをもっと楽しんでもいいのでは?というのを、最近ようやく思えるようになってきました。大げさに言いたくないのですが、所謂、霊感、霊能みたいなものに分類されるものも含め。見えたものを無理やりに審神者するのでなく、予言や予知では決してなく、トランス状態になって見たもの聞いたもの得たものを表現するというのは面白い試みだと思うのです。審神者せずに…と上で言いましたが、ファンタジーとして楽しむ分には、見えたものに自己流の意味づけをするのも良いでしょう、楽しむ分には。(強調) 私も夢見やイマジネーションの力をずっと無い物として過ごしてきたけど、これからは夢や白昼夢(寝てないときに見るイメージ)で見えた景色や物語を素直に表現していきたいなあと、このところ思うのです。魚座に具現化を表す土星が入ったからか、何か目に見えないものを形にしたいという気持ちが出てきたのです。 この特性を、これからの10年どう活かしていけばいいのか。また模索の日々でございます。

誕生日の朝に電脳的な夢を見た

何かから逃げて、地下への重厚なエレベーター、降りたその先に異世界への出発ゲート 仲間と共に原始的異世界への逃避 出発ゲートのロビーにはたくさんのお土産物が用意されていてその中から私は淡い金色のワンピースを手にする花の形のビジューで彩られた素敵なワンピース向こうに着いたら不必要な気もするがこういうものは向こうに無いから、思い出として向こうで着ようと思う ゲート前に立ち、さあこれからいざ出発! ・・・というところで目が覚めてしまいました。がっかり。笑 夢の中で何かに追われるような、パニック映画さながらの夢をよく見るのですが追われて逃げていくと、1回の夢で逃げ込む先や場面がめちゃくちゃ移り変わっていって、その場面ごとに空気感ががらりと違っているのが面白いというか。そして結末は、だいたい逃げ切れずに捕まって終わりか、逃げている途中で目が覚めるというのが定番なのだけど、ふと、これって地上や自分の肉体から離れて、意識?や夢の階層がどんどん深くなったり(移行したりしている)ことなのでは?と妄想めいたことを考えてしまいました。 本日、37回目の誕生日を迎えました。魔術的目覚めで大変気分がいいです。 今年一年、金色のワンピースを纏って、より変態的にオタク道つきつめていこうと思います。あと記事ももっと書くようにします。笑

汝、インカローズに沐浴し、悠久の傷を癒したまえ

皆様ご無沙汰しております。5月に入りましたがまだまだ不安な状況が続いておりますね。生活様式や働き方をがらりと変え、対応で疲れも出やすくなっていると思いますが、無理せず緩めれるときにはゆるりと参りましょう。 さてさて、記事は半分出来ていたのですがなかなか投稿できずにいたものを少しずつアップしてゆきます。 2~3月ぐらいにこんな夢を見ました。海外のヴィンテージショップをうろうろしている私。ショーケースにとても大きな<菱マンガン鉱(ロードクロサイト・インカローズ)>の標本が売っていて、そのありえない値段に興奮して(1500円だった・笑)一緒に来ていた知り合いたちに購入を勧めるんだけど、みんなあんまり興味がない様子。仕方なく別なコーナーの小さな箪笥の引き出しを開けていると、そこには天然石(ラリマー、ヒデナイト、フローライトとか。。。)やガラスのペンダントトップがたくさん入っていました。更にどんどん引き出しを開けていくと、真鍮枠に嵌った5㎝ぐらいのハート型のインカローズが。裏面に一か所凹みがあったけどこれなら使えるな、と思い購入する。…というもの。なんだか印象的で目が覚めてもはっきり覚えていました。 昨年後半の、トラサタブレス作製の折にもインカローズの夢を見たりして、ずっとインカローズが地味にアピールしてくるので、上記の夢を見たタイミングでインカローズに改めて向き合っておりました。 今回深く向き合ってみて感じたのは、孤独感とか、そういうところからくる自己否定みたいなものに、とってもよく作用してくれるなということ。ハートの傷を癒し、溢れんばかりの愛を注いでくれる。愛という言葉が苦手なら、安心感・満たされているという感覚、でも。人を羨んでしまったり、自分のできなさや、持っていないことばかりに目が行ってしまう時、なぜそんなことが心の中で起きるのかをきちんと理解し、傷を癒す作業は大切です。そして癒し満たされた時、人は自分の情熱~創造に集中できるのだろうなと思います。  そんな心の傷や欠乏に<愛>を届けてくれる、インカローズの効能ってやっぱり素晴らしいなと、そう思いまして、3月末~4月にかけて、<傷>を癒すのに特化したブレスレットも製作しておりました。今まで意外とインカローズを主役に作ったブレスやペンデュラムはあまり作ってなかったのですよ。Facebookのほうではご紹介しましたが、ブログやオンラインショップで紹介する前に売り切れてしまいまして、後からのご紹介になってしまい申し訳ありません。 その名もインカローズ絆創膏ブレス。笑(きちんとした名前を付ける前に完売してしまいました) アルゼンチン産インカローズの美しいビーズが少量手に入りまして、別途、千春兄貴の傷の治りを良くする活性化の魔法もお付けし、計5本製作させて頂きました。 絆創膏だから柔らかい感じで〜と思ってたのに、なんかゴージャスで華やかな感じになってしまったのでした。いつもそうだけど、今回は特に作らされてる感がすごかったな。製作時は神の傀儡と化しておりますです。アヤシイですけども、ええ。(笑)ルチルの隣にアンバー とか鬱陶しくない?と、場所替えようとするんですけど、そこじゃない!みたいな。自分では、ぜっえったい選ばない組み合わせ。 千春兄貴に完成した写真お見せしたところ、エジプトの女神がゴージャスな風呂場で沐浴するイメージと共に 『 悠久の傷を癒す 』 って言葉が降りてきたそうです。アムリタとか変若水のような感じで、女神のエネルギーの沁み込んだお湯に浸かってしっかり癒される感じでしょうか。なので、今生だけでなく、ながーい魂の歴史の傷を癒すのにも最高だと思います。 我ながら良きブレス作ったわ(自画自賛) そして下の画像は昨年、トラサタブレスの試作で製作した冥王星ブレスの初期案。 夢で冥王星はインカローズ(もしくはインペリアルロードナイト)!と言われて作ったんだけど、皆さんにとっての冥王星というか私にとっての冥王星がインカローズだったのかもしれないなと思い、自分用に使っておりますよ。そしてともすれば「己なぞ…」とうじうじしがちな私に、お前の<愛>はそんなもんか!とことん向き合ってトライするのだー!と突きつける楔となっております。

へんな夢のはなし

昔から不思議な、というか印象的な夢をよく見るほうでした。夢でのアドベンチャーっぷりに(命を狙われたり・異次元をさまよったり)小さい頃はそれを物語にまとめたり、夢日記をつけたりもしていましたが、ここ2~3年はそんなに不思議な夢も見ることなく(忘れてるだけかも)、今年の夏ぐらいからまたへんてこな夢を見ることが増えてきた気がします。 ここ最近見た不思議な夢を自分の覚書でブログにも残しておきます。(facebook見てくださってる方には既出な内容ですが) まずは夏ぐらいに見た夢。いつもお世話になっている、とある方が、夢の中に出てきて、「自分をサポートしてくれてる神々が誰だか知りたいか?」と聞いてきたので、迷いながらも「教えて欲しい」と言うと、紙と筆を持たされ、「自分で感じてここに書いてみて」と言われました。教えてくれないのかい!…と思いつつ、仕方ない…と意識を集中すると「泣沢女」というような漢字が浮かんだので、半紙の右側に白い塗料を筆にとって書いたのでした。半紙の左側のスペースが空いていたので、もう一柱いるのかと思い、もう一度集中すると、突き抜けるような空と山々、差し込む光…の真ん中にうっすらと写真の絵のような方が浮かんでいて…。 「何が見えるか?」と問われた私は「鳥じゃないんだけど…、鳥です。鳥みたいなやつです。」と。笑 そのあと象徴的にヒデナイトのイエローグリーンの結晶も見えて、鳥じゃなくて何か自然を司る宇宙的な何かかなと、結論づけたところで、夢の場面が切り替わりました。鳥さん…まじで、誰よ。 そしてこちらはつい先日見たばかりの夢、夢の中で顔の見えない知らない女性達と話していて、ふと、ここでお会いしている人や現場を、そのまま現実に持ってこれるじゃん!と気づきまして(夢の中で)、そこにいた女性達と円陣になってみんなで手を取って「具現化しよう🎵具現化しよう🎵」って歌いながら念じる…というもの。具現化しよう🎵って歌い唱えている途中でパッと目が覚めたの。歌のリズムとか隣の人の手の感触とか、エネルギーが場に満ちる感じとかめちゃめちゃ覚えてるのよ。 あとは時間を巻き戻して同じことを追体験する夢とか(こういうのはよく見る)、どっかの神社の夢とかみたけど忘れちゃったな。久しぶりに夢日記でも復活しようかしらね。 しかし上記2つの夢は意味深だったから落ち着いたら深掘りします。特に鳥の人ね、誰か己に問うてみます。笑

にしたびつれづれ ~7/19 京都編~

7月19・20・21日の三日間、関西へ旅に行ってきました。 以前会津にもいらして頂いた京都のセレーナMariaさんが今後演奏活動に力を入れるため、エネルギーワークなどのセッションを縮小されるとのことで、この期に西旅を兼ねMariaさんの所にお伺いすることに。 ↑京都へ向かう途中、SAから見たお山が素敵だったのでパチリ。良い形♡ 初日、Mariaさんのお宅にお邪魔してセッションを受けました。セッション中に、鹿みたいな映像が浮かんでくるわ…と思っていたら、デイダラボッチ=シシガミ様のようなものがMariaさんのほうのビジョンにもがっつり登場していたよう。デイダラボッチ、シシガミ様…きっと自然そのものや、古代の自然神などを象徴するイメージじゃないかなと想像しています。 で、20日もMariaさんとお仲間達とご一緒させて頂くことになっていたのですが、このシシガミ様に関わる場所へ行くこととなりました。こちらは奈良編に続きます。 セッション後、近くの素敵なイタリアンで美味しいランチをご一緒させて頂き^^色んなお話をさせて頂きました。 その後、近くの月読神社とレムリアの森をご案内して頂くつもりでしたが、月読神社でMariaさんにお導きがあり。夕方、お会いする予定だったYさんと石清水八幡宮でお待ち合わせすることに。 石清水八幡宮の麓に到着すると、麓の高良神社の祭礼で太鼓祭りがとり行われていました。 お天気は小雨に雷鳴、太鼓の音と合わさって雷鳴がますます大きくなってゆきました。まるで神々が集まってきてるみたいで、雷嫌いじゃないのでウキウキしちゃった。笑 初めて訪れた石清水八幡宮、町中にあるのだと思っていたら、かなり木々がモリモリな山の上にあることを初めて知りました。 その昔は、石清水もデイダラボッチが悠々と歩いていたんじゃないかな。 きっとそういう所だったんだろうな~。 山を登る途中で、清水社でMariaさんと歌を。 ご祭神は天之御中主命。ミナカヌシさん、ニュートラルな感じがしてなんとな~く好きな神様。後ろにはデイダラボッチのような大きな大きな木が見守っていてくれました^^以前、Arganzaの古代の扉2学期で最初に受け取ったビジョンで、これがガイドブックだよと、机の中に紫色の綺麗な装丁に赤い九曜紋が入っていたのが見えたのですが九曜紋は妙見信仰、妙見信仰のご祭神は天之御中主。そこから気になる存在でありました。 天之御中主命はArganzaのAmariさんとヴァイアマスかもね~とちらっとお話してましたが、Mariaさんは天之御中主がシシガミ様っぽいと。あ~!なんかでもどっちも分かるなあ~。ようは呼び方が違うだけで、エナジーは一緒なのかもですね。 頂上で無事にYさんと合流できました^^ この日、Yさんとは初めてお会いさせて頂きました。3人で石清水の神様にご挨拶させて頂きました。ご本殿ではご神職の方がちょうど祝詞をあげておられました。 若宮殿の前でもう一度ご挨拶。 お参りが済む頃には、空も綺麗に晴れていました♡Yさんがお気に入りだというご神木さんにもご挨拶させて頂き、こちらでも歌を。 Yさんと別れた後(弾丸でしたがお会いできて本当に嬉しかったです!)麓のお茶屋さんで美味しい和菓子頂きました。これ、もう一度石清水来ることあるならもっかい食べたい。名物の走井餅とわらび餅、そしてお抹茶美味でした♡ Mariaさんに新田辺の駅まで送って頂き、宿をとった奈良へ。 途中、夕焼けに染まる平城京の朱雀門が目に入ってきて。ああ、絶対この景色見たことある・・・とうるっときちゃいまいした。お宿にチェックインの前に、どうしても興福寺から夕焼けが見たくってお散歩。 お宿についたら、宿のご主人が琵琶を弾いていらっしゃいました。祇園精舎を生で聞けたよ♡ にしたびつれづれ 奈良編に続きます☆ ↑石清水八幡宮でMariaさんとパチリ^^ ありがとうございます☆ Anna

Do you hear the people sing?

少し前の事になりますが、今年の1月、ちょうど映画レ・ミゼラブルのこの記事を書いている時のことでした。 ↑は『民衆の歌』を聞きながら、テンションが上がりに上がって一気に書き上げた記事なのですね。記事投稿後もPCに向かいながら作業していたのですが、ずーっと頭の中で「民衆の歌」がエンドレスリピートしてまして。笑同じ曲をずっと聞いてたら良くある現象だと思うのですが、なんだかこの時は脳内ミュージックのボリュームがどんどん大きくなるのです。「自分、どんだけレミゼ熱すごいのよ」と最初の0.1秒ぐらいは思ったのですが、、、すぐさま異変に気づきまして。笑 実際に大勢の人が耳元で歌っている…というか歌の節に合わせてそれぞれ何かを叫んでいるような感じに聞こえてきたんです。それで、「あ、、何か(何が?笑)来ちゃってる?!」と意識した瞬間、もう耳をふさぐような大合唱で、体もピクリとも動かせないような感じになっちゃいまして。。。笑 耳を澄ませてチャンネルを合わせようとすると、はっきり言葉が聞こえてきそうだったのでそれは怖くて…というかどうなるか分からなくて、必死に民衆の歌の歌詞に集中してました。短い時間だったのかもしれませんが、体感としてはすごく長く感じました。。無理やり振りほどくこともできたのかもしれませんが、振りほどいてはいけない感じもして、ただその大勢の声が過ぎ去るのをじっと待っていたのです。 民衆の歌の世界観と深くシンクロしてしまったのは何だったのだろうと、以前はいろいろ考察もしましたが、分からないままなのであります。単に体調不良だっただけかもね。笑

パエトンの墜落

私には幼い頃、良く見る夢がありました。 小学校の遠足で担任の先生に引率されながら、クラスメイト達と一緒に歩いていると、着いた場所は何故か夕暮れの海辺…。私の住んでいるところは東北の内陸なので、歩いていける距離にもちろん海はありません。「ここどこ???」と思いつつも、何故かその景色に引き込まれていって、いつの間にか列を離れ、ひとりきりで浜辺を歩いている私。 右手には薄紅色に染まった大海原。ゆるいカーブの海岸線の先は切り立った岬のようになっていて、ちょうどその岬の上に赤い煉瓦造りの小さなお城が建っています。そのお城への道は浜辺から上がれるようになっていて、気がつくと私はそのお城らしきものの階段を上へ上へと登っているのです。円形のキープ(塔)の螺旋階段を上り詰めると、大海原が一望できる屋上です。下は断崖絶壁。 そこから私は海を眺めているのです…。ちょうど夕暮れ時で、真っ赤な太陽が海に沈んでゆきます。それは今思い出してもとても美しい景色で、鮮明に色彩が蘇ります。周りには人の気配がありません。 夢の中で私は、しばらく美しい夕日を眺めているのですが、もう夢が醒めそうだな~っていう頃になると、景色は一転、何故そうなったのか前後がよく分からないのですが、私の身は吸い込まれるようにその屋上から、崖下の海へと落ちていってしまうのです。目の前に波しぶきと暗い海、完全に海に落ちるか落ちないかのあたりで「はっ」と目が覚めてしまいます。それか急に場面が変わって、さっきの遠足に戻っている。というパターンも。。。 とにかく現実なんじゃないかっていうぐらいリアルな夢なのです。潮風と潮騒の音、夕焼けに染まる波の色、赤い煉瓦の古びた感触、アーチ型の窓、そして海へ落ちる時の感覚…。 基本的に私が景色を見て、海に落っこちるだけの映像なんだけど、ごく稀に(一度だけかも)たった一人だけ自分以外の人が、出てきた時があったのでした。 10歳前後ぐらいの白いシャツを着た金髪の男の子。何か寂しそうな感じで私に向けて喋っているのだけどなんだか言葉が良く分からないのだけど、「僕はここにいたんだ。」みたいな意味のことなんだろうと理解しました。後からよく考えてみたんだけど、きっと外国語を喋っていたのだよね。そりゃ、当時小学生の私には理解できるはずもなく。ただ、彼の寂しさや孤独感のようなもの、、胸がしめつけられるほど伝わってきました。 言葉にしてみるとなんだか怖い話なんですけど、すごく懐かしくて胸がキューンてなる私にしては素敵な夢だったので、ずっと見てたいな~って思う夢でした。子供のころはよくわかりませんでしたが、大人になってから思い起こしてみると、景色の雰囲気がイギリスとかそっちっぽい感じなのですよね。 馬鹿馬鹿しい話かもしれませんが、これは前世ってやつなのかしら?と思って、この夢が、スピリチュアルな出来事や精神世界へ関心を持つ一つの大きなきっかけであったことは間違いないです。 実際にある場所なのではないかと、今でも時折、イギリスやスコットランド、アイルランドの古城サーチしてしまいます。 Dunnottar Castlehttps://www.dunnottarcastle.co.uk/ UnsplashのJohn Robertsが撮影した写真 Dunluce Castle UnsplashのK. Mitch Hodgeが撮影した写真 ↑夢の中のお城、ちょっと違うけどこんな雰囲気の場所なんですよね~。