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    新年は、西へ

    1月2日から1月6日の5日間、彼氏と共に車で旅に出ていました。北陸経由で富山に前後1泊し、石川、福井、滋賀、京都と南下して2~3年ぶりに大好きな奈良へ。奈良や京都、滋賀、大阪、西の国へは時折無性に行きたくなります。 関西へ行くなら会いたい人も何人かおりまして、でもさすがに三が日に声をかけるのは…と思っていたのですが、なんと旅の途中、京都のお友達のお二人、Cちゃん&セレーナ・マリアさんと合流することができました^^お二人と八幡市の石清水八幡宮と京田辺の月読神社に初詣してきました。本当に直前だったのに駆けつけてくれたお二人に感謝です。この日は一緒に夜ご飯もご一緒できて、色んな話を楽しくさせていただきました。 奈良は若草山の麓のMountain Home Lodge in Deer Parkさんに2泊。とても綺麗で快適でコスパの良いお宿でした~。 こちらに泊まれたおかげで夜の二月堂へ行くこともできました。夕方過ぎると年始でも若草山近辺はとても静かです。 今回奈良では初めての場所にも行けました。天理市のの石上神宮。布都御魂剣をご祭神とし、十拳剣、七支刀などなどたくさんの剣にゆかりのある、物部氏の古社。もっといかめしい場所だと思っておりましたが、石上は思っていたよりとても静かで優しい場所で、光と空気と水と緑が美しかったです。お社よりも、この池と森と山のほうから明らかに美しい気が漏れてきていました。 そしてずっと行ってみたかった宇陀の室生龍穴神社の奥宮・吉祥龍穴や天岩戸にも。静かで美しい場所でした。岩盤の迫力に圧倒されました。なんかどことなく栃木の那須塩原の竜化の滝~天狗岩近辺に似てるな~と思いました。那須塩原のほうが「気配」は少ない?the自然って感じなんですけどね。笑 室生を後にして、折角だからと、宇陀市巡り。ふらりと見つけた宇陀の八咫烏神社や、宇太水分神社、阿紀神社も巡りました。 阿紀神社では何故だか心に残るおじいちゃんとの出会いもありました。阿紀神社周辺は古代、阿騎野(あきの)といって、貴人の狩場であったそうなのですが、その方、柿本人麻呂がその阿騎野にちなんで詠んだ歌の歌碑を探して訪れたようで、ひょっこり現れた我々にその場所を尋ねてこられたのですが、むろん我々も初めての場所で分らず。笑我々が福島から来たと知ると大学の時に福島の友達がいたのを思い出されたようで、短い言葉だったのですがその思い出を語ってくれました。ちなみにその歌碑はおじいちゃんが去った後、我々の車を止めていた真後ろにありました。笑「阿騎の野に宿る旅人打ち靡き眠も寝らめやも古思ふに」 ↑ ※リンク先に現代語訳と解説があります。 帰りは北上する途中で、京都の木津川の蟹満寺や湧出宮に寄り、そこに残る伝承に想いを馳せることになりました。古代には失われた神々や人々の歴史がまだまだありそうです。蟹満寺は蟹が蛇を退治したという伝説にちなんだ扁額がすごいです。 京都を抜け、滋賀。帰りは湖西を北上しました。近江神宮や白髭神社に立ち寄ることができました。白髭神社の湖中大鳥居は有名ですが、それだけでなく、白髭神社の磐座と森が素晴らしく、しばらく佇んでおりました。 西に居る間中お天気がとても良く、どこも素晴らしい光に満ちていましたが、白髭神社を後にして車を走らせていると、最後に琵琶湖に大きな虹がかかっているのを見れました。(写真を上手く撮れず無念)なんだか旅を祝福してくれているようで嬉しかったな。その直後から富山までずっと雨・雨・雨でしたけど。(笑) 前後2日泊まった富山も、お酒とご飯がとっても美味しくて、そしてとても空と海が美しかったです。(荒れてたけど・笑)今度はもっと時間をかけて富山探索したいなと思いました。 そして最終日、富山の朝日町と新潟の糸魚川へ。浜辺で翡翠探しをして、この旅を締めることにしました。2018年夏から通い続けて、三度目の正直。雪がちらつく真冬の日本海で波に濡れながら、ようやく小さな翡翠輝石をゲットしました。 たくさんのギフトをもらった旅でしたが、形となって宝物を最後に受け取ることができました。土地の精霊や神々よありがとう~~~。 まだ旅の余韻が残っていますが、このエネルギーを咀嚼して製作のほうに活かしていけたらなと思います。 皆様の2019年も素晴らしい幕開けとなりますように。

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    ときはたまゆら

    越谷市に住む、死んだ祖父の一番下の弟「のぶおじちゃん」が入院したと、つい先日、父に連絡が入り、先週末お見舞いに行ってきました。 父は一人っ子なので、父方の親戚づきあいというのは、私たち姉弟の代では希薄で、名前も良く知らない親戚が多いのですが、「のぶおじちゃん」は小さい頃からお世話になっていて、祖父が小学生の時に亡くなっていることもあり、私たち姉弟にとって祖父のような存在でした。話し上手でユーモアがあり、会うたびに仙人のような格言を一言「置いていく」ような人で、年に1度おじちゃんが会津に帰省するのを楽しみにしています。 ちょうど1年前に会津に来た時も80代半ばなのに夜遅くまでたっくさんお酒を飲んで喋って、元気だなあと思っていたのですが、突然の入院の知らせ。想像していたよりかは元気な表情を見れたので、少し安心しましたが、喋ることや食べることが難しくなってきているので、とても心配です。 知っている人がある日亡くなっても、自分は泣いたりしない冷たい人間かもしれないと思っているところがあるのですが、それでもいなくなったら寂しいなと思う人は何人かいます。元気になったのぶおじちゃんと、また美味しいお酒が飲みたいな。 あの頃小学生だった私も今や30歳を過ぎてしまって、時が流れたんだなというのをしみじみと感じています。会いたい人には会ったほうが良いし、やりたいことはやったほうがいい、悔いを残している場合なんかじゃない、と言葉にするとだいぶ陳腐だけど、本当にそうなんだよなあと思います。黙っていても時は流れるから。そういう意味で、のぶおじちゃんは「時」の使い方が上手い人なんだと思います。だから一言に重みがある。全く同じように生きることはできないけど、彼のように上手な「時」の使い方ができたらいいなと思っています。 越谷でのお見舞いの後に、一緒に付いてきてくれた彼氏と行きあたりばっ旅をしてきました。越谷から千葉県は野田市へ、野田では櫻木神社という神社へ立ち寄りました。たまたま看板を見つけ立ち寄った場所でしたが、大変立派なお社で、とても気の良い場所でした。藤原氏が平安時代に創建した野田市最古のお社だそうですが、境内からそれよりも古い時代、古墳時代前期に玉類を作っていた生産工房跡が出土したそうです。 そこからさらに利根川の流れに沿って海まで出ました。鹿島灘。5月の海、大変美しかったです。 一泊して、茨城では魂の故郷のひとつの鹿島神宮や、鹿島の元宮である大生神社、坂戸神社、沼尾神社に立ち寄りました。鹿島神宮には前日の夕方、誰もいない境内を散策できたのも良かったです。次の日は雲一つない青空で、木漏れ日が美しく揺らめいていました。どのお社も緑のエナジーが爽やかで本当に心地よかったです。 最後は大洗まで北上して、磯浜古墳群を見て、そこから帰路へ。帰りの空にずっと不思議な雲と彩雲が出ていました。 時空を越えた旅をしてきたようなそんな感覚、また少し自分のエネルギーが、微細に変化したような気がします。流れゆく時と、そして時の狭間にある永久と。私たちはその二つを感じながら前に進んでいくのだと思います。出会うすべてに感謝しながら。 玉響(たまゆら)=勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」、あるいは「かすか」を意味する古語。 wikipediaより

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    2017.11.17(金) セレーナマリア&つくし 錦秋のミニコンサート

     ご報告が大変遅くなってしまいましたが、2017.11.17(金)、京都の竪琴奏者&シンガーソングライターのセレーナ・マリアさんとフォークグループつくしのコラボミニコンサートが会津で開催されました。 今年5月にもつくしと一緒にコンサートさせていただきまして、まさか年内にもう一度一緒にコンサートさせて頂けることになるとは、私もびっくりです~。マリアさん、おじさんたちの願いを叶えてくださり、本当にありがとうございます。さてコンサートは以前より広い会場で行われまして、たくさんの方々に来場して頂き、みなさん美味しいお食事とマリアさん&おじさんたちの歌声を楽しんでいらっしゃいました。 前回いらっしゃらなかった方も沢山いらっしゃいましたので、ライアーの演奏を初めて聞くという方も多かったのではないでしょうか。マリアさんが持参してくださったCDもあっという間になくなってしまいました。 本当に素晴らしいひと時でした。マリアさん、ありがとうございます^^ こちらはオフショット。お食事中をパチリ。今回は前回の裏磐梯コンサートにお客様としていらっしゃったKさんが、マリアさんのマネージャー件カメラマンとして同行してくださいました。マリアさんとKさんのツーショット。ナイスコンビです☆Kさんの撮られるお写真は本当に素敵なのです~。カメラマンとしてのKさんのご活躍も楽しみです☆ またコンサート前には、会津坂下町の心清水八幡神社と立木観音へ。秋の美しい景色も堪能することが出来ました。 Kさんのカメラを真剣に構える姿をついつい撮ってしまう私なのでした。笑 ↓は、Kさんに撮影してもらったマリアさんとの一枚。また素敵な思い出が増えました^^ 続きます☆

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    飛行機で日帰り大阪のたび

    先日、キスマイの北山くんの主演舞台「あんちゃん」を観るために福島から大阪まで日帰りで飛行機の旅をしてきました(笑) 北山くんの舞台の感想などはまたブログにまとめるとして、、、限られた時間で大阪のKさんとKさんの彼女のLさん、京都のCちゃんが会いにきてくれまして、短時間でいろんなところへ案内してくださいました。KさんとCちゃんとは5月の裏磐梯マリアさんコンサート以来、とてもうれしい再会です^^ さて、Kさんの車で案内していただいたのは、四天王寺、杭全神社(くまたじんじゃ)、北畠顕家の墓、安部晴明神社、安倍王子神社 。それと北山君の舞台観終わった後に一人で鵲森宮(かささぎのもりのみや)にもお邪魔してきまして…短時間(約5時間弱)でめちゃくちゃ回ったな…とびっくりしております。笑 ◇四天王寺 写真はあべのハルカスと四天王寺の五重塔。ほんと大きなお寺でした~。でもメインで観たのは、本堂から右手にある、聖徳太子を祀った太子殿。本当は物部守屋の祠を見たかったのですが、太子殿の東奥にあり、聖徳太子の縁日である毎月22日しか近寄ることができないそうで、遠目よりお参りしました。四天王寺は、歴史では聖徳太子が廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子の合戦の折り、自ら四天王像を彫り、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立すると誓願され建立された寺だとされています。 お土産に蘇利古の顔がプリントされたハンカチを買いました。以前ピンタレストで蘇利古の画像を見て、かっこいー!と思っていたものでしたが、どうやら四天王寺の聖徳太子の聖霊会で舞われるものみたいですね。 ◇杭全神社 四天王寺の前の道路標識に、杭全(くまた)とあり。気になって訪れた場所でした。クマタはクダラが訛ったものという説もあるそうな。この一帯は坂上氏の荘園だったようで、坂上氏に関係の深い場所でもあるらしいです。ご祭神は素戔嗚さん、熊野三所権現、伊弉諾尊を祀ってたよ〜。大きな木がたくさんあってすごく気持ちの良い場所で、時間のことを考えなければずっとぼーっとしていたかったです。 ◇鵲森宮   森ノ宮の地名の由来はこのお宮からきているそうです。このあたりには、最初の四天王寺(元四天王寺)があり、その鎮守社として聖徳太子が両親である用明天皇と穴穂部間人皇后が祀った場所だそうです。もっと古い時代のことを言えば、元々ここには討たれた物部守屋の邸宅があったそうです。境内にいっぱい蜂が飛んでいたのが印象的でした。 ◇北畠顕家の墓 安倍清明神社に向かう途中、車を止めた駐車場の近くにあった公園にお墓がひっそりとあり、何気なく立ち寄ると、陸奥守をしていた北畠顕家という方のお墓でした。なんと、この方福島とはとても深いご縁があるようで、福島の霊山(りょうぜん)にもお祀りされているよう。こんなところで福島とご縁のある方の場所に導かれるなんて、近々、霊山行ってこようっと。 ◇安倍清明神社 こちらは京都ではなく、大阪阿倍野区の清明神社。安倍清明生誕の地といわれております。住宅街の中にひっそり佇んでおりました。陰陽師ブーム?のせいか結構若い観光客がたくさんいらっしゃいました。隣の社務所?のような場所でどうも占いをしてくれるらしいです。看板が立っておりました(笑) ◇阿倍王子神社 安倍清明神社のほど近くにある神社、仁徳天皇が創建した神社と言われておりますが、阿倍野には古代、奈良県桜井市より安倍氏が移り住んだようで、安倍氏との繋がりも深い場所であり、安倍氏の氏神とも伝えられております。古代には安倍氏の安倍寺もあったようですが、勢力が衰え四天王寺に吸収されたようです。こちらは大きな木がたっくさん!!ご神木それぞれに神名がありました。本当に素敵な神社でした~~!また、こちらは四天王寺と住吉大社のほぼ中間の位置にあり、熊野参詣の街道筋の熊野参詣の九十九王子のひとつでもあり、阿倍野王子と呼ばれるようになったそうです。 …と、駆け足でしたが、大阪は去年、キスマイのコンサートの次の日に住吉大社にお邪魔したぐらいだったので、またいろんな場所をまわれたのがとっても嬉しかったです。Kさん、Lさん、Cちゃん、ありがとうございました^^  そして今回久しぶりの飛行機の旅でした、しかも自力で1人で乗るのは初めてで、小学生のように興奮してしまいました。めっちゃ楽しかった(笑)雲や太陽が美しくてずっと窓の外の景色を見ていました~~。着陸するときに、前方後円墳が数基見えて、それがめちゃくちゃ興奮しました。応仁天皇陵か仁徳天皇陵かな。今年のお盆は飛び石気味のお休みだったので、1日だけでしたが舞台観て、神社数社巡れて、すごく素敵なお休みになりました^^ 

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    安久津八幡神社 (山形県東置賜郡)

    山形県東置賜郡高畠町安久津2011北緯38度0分30秒 東経140度13分7秒 祭神 : 誉田別命創建 : 貞観2年(860年)   <由緒・歴史>安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えているが、もとより定かではない。生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建造物は県の指定文化財となっている。 三重塔は寛政9年(1797年)に再建されたもので、初建は、寛永2年(1625年)といわれている。方三間造で銅版葺き、置賜地方唯一の層塔である。 舞楽殿は、室町末期のものといわれ、方一間宝形造、茅葺きである。毎年5月3日には、倭舞(やまとまい)、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。本殿は、三間社流造、茅葺きである。 境内には、鐘つき堂・流鏑馬的場跡などがあり、裏山一帯には、安久津古墳群(鳥居町支郡)十数基が点在している。そのほか奥の院の洞窟などがあり片葉の葦、爺婆石、弘法清水などの伝説も残っている。町歴史公園の東に位置し、神社西方の山は5千本ほどのつつじで彩られる。境内の東側には、郷土資料館がある。また、周辺を歴史公園として整備し、「うきたむ風土記の丘」の中核施設として県立考古資料館がある。~山形県高畠町HPより~ 貞観二年(860)慈覚大師が安久津の豪族安久津盤三郎の協力で阿弥陀堂を建立、金蔵院として信仰を集める。永承六年(1051)源義家が安倍一族討伐の命を受け二井宿峠を越えて当山に入り戦勝を祈願し大勝利を得た(前九年の役)寛治元年(1087)再度金蔵院に立ち寄り戦勝を祈願し大勝利を得た(後三年の役)そこで鎌倉の由比郷より八幡神を分霊してお祀りしたのが安久津八幡神社の起こりと言い伝えられている。源氏の氏神八幡神に甲冑や刀を奉納、別当神宮寺・学頭金蔵院・衆徒頭千殊院始十二坊を置き、神官社家三十余人を配し、神仏両部の祭典儀式が定められていた。以後、長井・伊達・蒲生・上杉と歴代領主により保護され、社殿の造営や社領等の寄進が行なわれてきた。鎌倉時代から室町時代にかけて院や坊の最盛期修行僧の能海・堪忍等の写経筆跡が神奈川県「金沢文庫」に残っている。伊達氏の尊崇特に篤く広大な社領を寄進される。「独眼竜政宗」は重臣「片倉小十郎」をもって総裁に任じ神務までも司り、隆盛を極めた。伊達氏に変わり蒲生氏が領主になると社領は没収され、社頭は衰運するが祭祀は継続された。文禄三年(1594)より上杉家の領地となり寛文四年(1664)に天領となる。寛文十三年(1670)に社領五十石を賜り明治三年(1870)まで続く元和元年(1615)拝殿火災 元和三年(1617)拝殿再建元和五年(1619)本殿焼失 寛永七年(1630)本殿再建元文二年(1737)寛保三年(1743)火災により旧記・宝物等焼失宝暦五年(1755)大飢饉の中現在の社殿が再建される明治四五年(1912)今の社務所にあった金蔵院が火災で焼失 ~安久津八幡神社公式サイトより~   三重の塔や、茅葺屋根の舞殿・本殿など見ごたえのある建築。雰囲気のある静かな佇まいの神社。 神社は上の写真を見て頂いてもわかるように、山と平野の境にあり、山がコの字型に神社を取り囲んでいます。境内と山(八幡山)の中腹などには、7~8世紀ごろの古墳が12基あるようです。(鳥居町支群)いずれも終末期の円墳で南に石室が開口しています。この古墳群は安久津古墳群の一部で、近くには他にも古墳や、洞窟遺跡などが点在しているようです。置賜郡が古くから栄えていたということを物語っています。 ↑神社脇の古墳。雪で近寄れず。玄室が開口しているのが遠目にも見えます。 山の頂上には奥の院があるようで、洞窟になっているらしい。行かれた方のブログ写真を見る限り、なかなか素敵な磐座のようです。こちらに訪れたことは過去二度。最初に訪れたのは10年前ぐらいの夏、その頃はまだ古墳にそれほど興味がなくスル―してしまったのでした。次に訪れた時は雪で山への道が閉ざされており、古墳も奥の院にも行けなかったので、また時期を改めて散策したいと思っています。 ↑そしてこちらの狛犬はとってもキュート♡なのである。

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    熊野大社(山形県南陽市)

    山形県南陽市宮内3476−1北緯38度4分38秒 東経140度8分19秒 祭神 :熊野夫須美大神 (伊弉冉尊)    熊野速玉大神 (伊弉諾尊)     熊野家津御子大神  (素盞鳴尊)創建 :大同元年(806年)に再建勧請 :平城天皇の勅命により再興祭礼 : 7月25日

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    あいすることはチャレンジだ

    先日、千春兄貴が福島に遊びに来て下さいました。会津の仲間たちと兄貴をお迎えしてきましたよ。 猪苗代湖に行きたいという兄貴のリクエスト以外、何も決まってなかったのですが、突如、新潟は弥彦神社に行くことになりました。またかよ(笑)もうほんと腑に落ちないんだけども、弥彦には月イチぐらいで通わせて頂いている。もしかしたら私はある部分で弥彦と人を繋ぐような橋のような立ち位置にいるのかもしれないなぁと思ってみたり。以前、弥彦と自分の関係で引いたカードが「AEON<永劫>」だったからなぁ…色々諦めてます(遠い目) 美しい弥彦の自然と、日本海、みんなで巡るとてもいい時間でした。 さて兄貴の龍御伽セッションを6月に受けたことは記事にも書かせて頂きましたが、その時に相談した内容が恋愛とかそういったようなテーマのことでした。この時に言われた魂の思考のくせを意識しながら3ヵ月やっていこうという話でしたが、とにかくこの3か月というのは、男性や恋愛、誰かと関係を築くことに対して、心が傷つき、深く拒否しているのを改めて感じるような期間でした。そしてそれが「私は愛するものを傷つける存在だ」という自分を幸せにしない信念から来ているもので、もうその信念にほとほと飽きているということも…。 その後、9月に兄貴の十和田湖からの四代元素の遠隔ヒーリングを受けました。そのシェアで「尻込みすることが来ますが乗ること。無視しても乗るしかなくなるから。」とあり、自分でもトートタロットのワンド8を引いたりしていて、思い当たる節もないけど何が起きるの?!コエ―!!!と思っていたら、次の週ぐらいに電光石火の如く「彼氏」ができたというね。あんなに恋愛無理だーーと思っていたのでこの展開にはびっくりです(笑) 彼と初めて会った日は、龍御伽のぴったり3か月後、十和田遠隔のぴったり一週間後でした(笑)本気で向き合いたい事柄、動かしていきたい事柄へ対する兄貴の後押しの魔法の力強さはあいかわらず凄い。ありがとうございます。 しかしながら、私には、「自分が関わることは全てダメになる相手を傷つける、そんな私は愛されるに値しない。」…という古い思考回路があるので、実際には傷ついているのは自分だとしても、相手や何かを愛するということエネルギーをかたむけることが非常に恐ろしく、とてつもなくチャレンジなことなのです。今まではその思考回路があったので、愛情を注いでも育たないところ…誠実さや優しさからは離れた人ばかりを選んでました。そういう相手なら自分が傷つけることはないだろうという無意識の思い。そして傷つけるより傷つくほうが慣れてるから楽だという、ある意味魂の需要と供給ですね~。そういう意味でも彼は今まで出会ってきたどの人とも違う誠実さや優しさに溢れていてピュアなハートの持ち主、日々彼と関わることで、「私が愛するものは傷つかない、全力で愛してもいい。」という思考に少しずつスライドしていっているのを感じています。いつかはその古い思考回路がもっともっと細くなればいい。相手と自分を信頼すること、愛すること愛されることは、チャレンジ。ほんと鍛えられてますし、いつもたくさんのものをありがとう。 そんな彼も連れての弥彦探検でした。なんだか新鮮な一日でした。ものすっごいHPMP使ったけども(笑)色んな人が関わってくれることによって再確認することや、新たに知ることがあるので、面白スポットに何度も色んな人と足を運ぶことが楽しいです。ええ、厨二なので。 最近、関わる人の向こうに世界が透けて見える(感じる)時があります。時の精霊?自然界のディーヴァもしくはエレメンタルのようなものが見せてくれる景色。それを感じた時に、いつも思うのは、もっともっとこの世界を全力で愛したいなあということ。 だからわたしはこれからも愛することには背中を向けたくない。立ち向かっていきたいなぁと思うのです。  ↑兄貴からお土産でもらった長野の神社の御守り。色味とデザインが素敵でバッグにつけてます^^