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    [Les Misérables] 2012 UK

    リンク 先日関東が大雪に見舞われたあの日に(笑)、品川の映画館で『レ・ミゼラブル』を観賞してきました。 いや~~~~…。最初から最後まで、嗚咽レベルの大泣きっした。恥 『英国王のスピーチ』のトム・フーパーが監督した、有名なヴィクトル・ユーゴーの同名小説の、ミュージカル映画『レ・ミゼラブル』。2012年は『レ・ミゼラブル』の原作発表からちょうど150年目だったそうですネ。 ジャン・バルジャン役にヒュー・ジャックマン、ジャベール役にラッセル・クロウ、ファンティーヌ役はアン・ハサウェイ、コゼット役にアマンダ・サイフリッドなどなど、俳優陣もとっても豪華~~~! そして歌うまっ~!(当たり前です) 実はお恥ずかしながら、レミゼは「銀の燭台」 の部分を小学校の時に教科書かなんかで読んだぐらいで、全体のあらすじはなんとなくしか知りませんでした。実際にきちんと観たらこれは…、いやもう…、レミゼすげー!ってなりました。笑ユーゴーの原作も読みたくなったし、4月からの帝劇の舞台も観に行くきたくなったわ。 善とは?悪とは何なのか?正しく生きるという事はいったい何なのか?ジャン・バルジャンやジャベール、その他の登場人物を通し、問いかけてきます。 レ・ミゼラブルはナポレオン没落後の1815年から王政復古時代、七月革命後の七月王政時代の最中の1833年までの18年間を描いており、当時のフランスを取り巻く社会情勢や民衆の生活が物語の背景にありますが、これからの新しい時代を生きる私達にも必要なメッセージがふんだんに含まれていると思いました。 現代を生きて行く私達に一番必要となっていくもの…きっとそれは、レ・ミゼラブルに描かれている『愛』に他ならないのではないでしょうか。そして、愛とは自分と世界に正直であること。 愛こそが私たちの魂を自由にする唯一の方法。自由を手にするための闘い。リバティ。 誰かが声をあげても何も変わらないように思えた世界も、声を上げ続けることでいつかきっと何かが変わるのではないか。目に見えないところでは熱い大きな流れが大河のようにうねっていて、その奔流を誰にも堰きとめる事はできない。 その流れは少しずつ私達の意識の世界に影響を及ぼしていて、そしていつの日か、押し寄せる波は堰を切ってこの世界を一新させるのでしょう。ラストシーンと「民衆の歌」に そのようなことを思いました。 あ~、もっかい映画館で観たいな。

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    2012年もありがとうございました。

    今年ももうあとわずかで終わりですね。2012年はほんとに中身の濃ゆい一年でした。しかしあっという間でしたね〜。ご縁を頂いた皆様、こちらを読んでくださっている皆様、本当にありがとうございました。 はてさて大晦日の夜、皆様いかがお過ごしですか?私は家族と紅白見ながらまったり過ごしております(^ – ^今年は紅白で美輪さんのヨイトマケ見れて幸せです。1年間忙しくしておりましたが、12月後半は、舞台や映画を観に行ったり、セッションやレインドロップを受けたり、お仲間や友達と美味しいご飯を食べにでかけたりと、自分のための豊かな時間を設けています。 来年はもっといろんなことを、現実に落とし込んでいけるように英気を養ってます^ – ^ 皆様の2013年もステキなものになりますように。

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    「 村田エフェンディ滞土録 」 梨木香歩

    リンク だいぶ前に読み終わって、レビュー書こうと思っていたのですが、今の今になってしまいました。うん、やっぱり梨木さんの小説はいいなぁ。笑一時期、10代後半~20代前半のころ阿呆のごとく本を読み漁っていた時期があり、量を読むことに躍起になって結局内容はまるきり覚えてないというものも多いのですが(笑)、今でもふとした折に手に取って読んでみる作家さんの一人です。梨木さんの紡ぐ物語は、実体のないもやっとしたものではなく、何か真ん中のほうにしっかりとした真実を隠し持っている気がします。 はてさて、なにやら珍妙なタイトルのついたこの小説ですが、滞土の「土」は土耳古(トルコ)のこと。エフェンディとはトルコ語で「学士様」という意味の敬称らしいです。内容を簡潔に説明すると『考古学を勉強する村田くんという一人の青年のトルコ滞在記』になるのでありますが・・・。 やはり梨木さんの紡ぐ物語なのだなあ、1899年という時代背景の中、村田くんを取り巻く様々な人々、宗教 神々。 これらのものが、かの地でファンタジックに交錯してゆくさまは淡々としながらも胸を熱くさせます。イスタンブールの景色や町並みの描写は、まるでその時代その場所に立っていたと思わせるよう。 物語を彩るいきいきとした登場人物も魅力です。下宿先の大家の英国人ディケンズ夫人、同じように部屋を借りている、希臘人のディミィトリス、独逸人のオットー、下働きの回教徒のムハンマド。そして、ムハンマドのつかまえた鸚鵡(オウム)・・・などなど。 そして梨木さんの作品はどことなく『死』というものが独特の形で扱われている気がします。それは目に見えない世界に敬い寄り添って生きてきたわれわれ古き良き時代の日本人の本質のようなもの。村田エフェンディ~とも繋がりのある梨木さんの「家守奇譚」ですが、こちらはさながら泉鏡花の世界。(鏡花ほど毒気はないけど)木原敏江の「摩利と新吾」やヘッセの「デミアン」読んだ時の感じと似ている気がするのは私だけでしょうか。笑 言葉の一つ一つが珠玉です。宗教とは、国とは、戦争とは、人間とは一体何なのか、 、そのエッセンスがすべてここに隠されているような気がします。 おすすめです。

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    Love Genpei

    今更ですが、大河「平清盛」見てます。毎回、大河は何となく見てるんですが、私のツボに見事にはまりました。役者さん、衣装、音楽、演出、どれも素晴らしいです~。特に音楽が素敵。吉松隆さんの作曲されたメインテーマの雰囲気が世界観すっごい表現してると思います~。なんとピアノは舘野泉さん。一時期、彼のアルバム聞き込んでいました。 こんなにツボにはまったのは平安末期、源平の時代が好きだからなんです~。私も白拍子になって舞いたい。もしくは緋縅の大鎧召して弓を射たい。笑この頃の時代装束、雰囲気~、ほんとたまりませぬ。 源平に爆発的にはまったのは、中学生のころ読んだ「りょう」っていう源義経をモチーフにした少女漫画がきっかけだったけど、小さい頃に牛若丸と弁慶の話を読んだりしてどきどきしていたものです。 以前、「ときわ」「ときわのあや」というHNを使っていました。祖母方のお名前がトキワだったのもありますが、それも義朝と清盛から愛された常盤御前にあやかってでした。何にあやかっているかは自分でも不明ですが…(笑)トキワの響きかっこよくないですか。 幼い頃~中高生の頃は、俄然源氏びいきだったけど、最近は平家びいきな私。平清盛見ながら、改めて平家の魅力にときめいています。 「遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや生まれけん遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそ揺がるれ」 遊ぶために生まれてきたのか、戯れるために生まれてきたのか、遊んでいる子供の声を聞くと、体じゅうがいとおしさで震えがくる これは『梁塵秘抄』におさめられた今様です。この節にあわせて白拍子たちが舞ったのでしょうね(うっとり) ドラマもこの今様になぞらえたように、『生きる』ということへの爆発的な喜び。子供や赤ちゃんのような純粋無垢なエネルギーを感じ、高揚いたします。ところでどうやら熊野古道を壺装束(平安時代の旅装束)で歩くことができるらしいんですが、、、憧れの地を壺装束で旅する。。ときめくわあ。熊野を旅するのも昔からの夢です。近いうちに行きたいな~~。

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    [ The Nine Worlds ] Achillea

    1. Achillea – Prelude2. Ragnarok – Twilight of the Gods3. Odin’s Hill4. The Monks of Lindisfarne5. Cape Porcupine6. The Seeress Prophecy (Daydreaming)7. Land of the Elves8. Shears from Scar9. The Nine Worlds10. Staraja Ladoga11. Othila – The Rune Masters12. Achillea – Exodus なんかよさ気な音楽ないかな~と、Last.fmで以前loveボタンを押していた曲の一覧を改めて試聴しなおしておりました。 ん、これいいかも。 と、耳に残るはAchilleaというアーティストの曲。電子音と女性ボーカルや男性コーラスetcが響きあい、妖しくも神聖な雰囲気。深く薄暗い魔法使いの森。暗すぎも明るすぎもしない、まさに私好みの幻想的な世界観。 曲名やアルバム名に「オーディンの丘」「ラグナロク」「9つの世界」などあることから北欧神話をモチーフにしていると連想させます。 アーティストの詳細がよくわからないのですが、EnigmaのギタリストJens Gadのソロプロジェクトだとか。。。? 2005年の作品のようです。何にせよ、このアルバムはへヴィロテ決定です。 今宵は自分も神々の森に分け入った気分で、音の波に漂ってみませう。皆様、素敵な夜を☆

  • BLOG - 不思議な話

    パエトンの墜落

    私には幼い頃、良く見る夢がありました。 小学校の遠足で担任の先生に引率されながら、クラスメイト達と一緒に歩いていると、着いた場所は何故か夕暮れの海辺…。私の住んでいるところは東北の内陸なので、歩いていける距離にもちろん海はありません。「ここどこ???」と思いつつも、何故かその景色に引き込まれていって、いつの間にか列を離れ、ひとりきりで浜辺を歩いている私。 右手には薄紅色に染まった大海原。ゆるいカーブの海岸線の先は切り立った岬のようになっていて、ちょうどその岬の上に赤い煉瓦造りの小さなお城が建っています。そのお城への道は浜辺から上がれるようになっていて、気がつくと私はそのお城らしきものの階段を上へ上へと登っているのです。円形のキープ(塔)の螺旋階段を上り詰めると、大海原が一望できる屋上です。下は断崖絶壁。 そこから私は海を眺めているのです…。ちょうど夕暮れ時で、真っ赤な太陽が海に沈んでゆきます。それは今思い出してもとても美しい景色で、鮮明に色彩が蘇ります。周りには人の気配がありません。 夢の中で私は、しばらく美しい夕日を眺めているのですが、もう夢が醒めそうだな~っていう頃になると、景色は一転、何故そうなったのか前後がよく分からないのですが、私の身は吸い込まれるようにその屋上から、崖下の海へと落ちていってしまうのです。目の前に波しぶきと暗い海、完全に海に落ちるか落ちないかのあたりで「はっ」と目が覚めてしまいます。それか急に場面が変わって、さっきの遠足に戻っている。というパターンも。。。 とにかく現実なんじゃないかっていうぐらいリアルな夢なのです。潮風と潮騒の音、夕焼けに染まる波の色、赤い煉瓦の古びた感触、アーチ型の窓、そして海へ落ちる時の感覚…。 基本的に私が景色を見て、海に落っこちるだけの映像なんだけど、ごく稀に(一度だけかも)たった一人だけ自分以外の人が、出てきた時があったのでした。 10歳前後ぐらいの白いシャツを着た金髪の男の子。何か寂しそうな感じで私に向けて喋っているのだけどなんだか言葉が良く分からないのだけど、「僕はここにいたんだ。」みたいな意味のことなんだろうと理解しました。後からよく考えてみたんだけど、きっと外国語を喋っていたのだよね。そりゃ、当時小学生の私には理解できるはずもなく。ただ、彼の寂しさや孤独感のようなもの、、胸がしめつけられるほど伝わってきました。 言葉にしてみるとなんだか怖い話なんですけど、すごく懐かしくて胸がキューンてなる私にしては素敵な夢だったので、ずっと見てたいな~って思う夢でした。子供のころはよくわかりませんでしたが、大人になってから思い起こしてみると、景色の雰囲気がイギリスとかそっちっぽい感じなのですよね。 馬鹿馬鹿しい話かもしれませんが、これは前世ってやつなのかしら?と思って、この夢が、スピリチュアルな出来事や精神世界へ関心を持つ一つの大きなきっかけであったことは間違いないです。 実際にある場所なのではないかと、今でも時折、イギリスやスコットランド、アイルランドの古城サーチしてしまいます。 Dunnottar Castlehttps://www.dunnottarcastle.co.uk/ UnsplashのJohn Robertsが撮影した写真 Dunluce Castle UnsplashのK. Mitch Hodgeが撮影した写真 ↑夢の中のお城、ちょっと違うけどこんな雰囲気の場所なんですよね~。

  • BLOG - 映画

    [ Le Clan Des Siciliens ] 1969

    昨日、体調悪くて横になりながら、暇つぶしに観ていた映画。 『シシリアン(Le Clan Des Siciliens)』 リンク 1969年公開の仏映画。アラン・ドロン、ジャン・ギャバン、リノ・バンチュラの三大スターの共演っていう豪華なマフィア映画。 最初、仏映画だから~と思っていたら、シシリアンの名のごとく、ジャン・ギャバン扮するのはイタリア人マフィア。しかも、ローマのボルゲーゼ美術館の宝石を盗む!!っていう設定にびっくり。 その日読んでたエリザベス・ギルバートの「食べて祈って恋をして」が、ちょうどボルゲーゼ公園で読書をしてるっていうシーンだったから。 今年、ボルゲーゼ美術館展にも行ってるし…ボルゲーゼ、っていうかイタリア熱い!!!イタリアまた行きたいっ!!!(何) なので、アラン・ドロン目当てで見だしたこの映画も、後半はジャン・ギャバンのマフィアファミリーに熱視線。ファミリーの三人息子がみんな素敵なの~~! いや、もちろんアラン・ドロンの美しさは半端なかった! 特にラストの曇り空を背景にジャン・ギャバンと対峙している彼、ものっすごい色っぽかった。悪役似合うよね~~。 内容的には、矛盾も感じつつ、結局、悪は滅びる的な? いやでもなんかかっこいい!かっこよければいっかみたいな!笑 そんな感じでした。どんなだ。(たぶん雰囲気お洒落!っていいたいんだとおもふな)

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    一笑にふせられたら他愛も無い呟きだ 残らず消せるけど

    フィツジェラルドを読んでいるから感傷的になったわけぢゃないのだけどふいに涙がにじんで、胸が締め付けられるような切なさに襲われた両の手をがちりとあわせ、思いつく限りの、いやそれ以上のありとあらゆる祈りの言葉を口にしたくなった何の変哲も無い土曜の午後だツアリストの集団初秋の冷たい風裏の家の猫あなたが幸せであればいいなそのためなら 何もいらないエディット・ピアフそんな大げさなことでないような小さな願いあなたが優しく眠れることそれがために僕はあなたを抱きしめるその寝息、守りたいよ結局大げさな願いかもしれないなでもそのためなら 何もいらない隠さずに悪魔でも 天使でもほんとのことほんとのこと、それが見たいだけ血が滲むぐらいぶっても良いよマゾじゃないけどねサドでもないけどねでもそんなことどうだっていいよどちらにもなれるさほんとのこと 見たいだけなんだ大人になんかならないで神なんか信じないあなたに何の効果があるのか知らないけど僕は毎日でも祈るよふとした瞬間に何にもいらないあなたの幸せそれだけでそれだけでそれだけで僕は謳える優しく眠れ殴られたい祈りたい殴られたい ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇  Apri 6th 2009

  • BLOG - 音楽

    [ ブザンソン音楽祭における告別コンサート ] Dinu Lipatti

    1917年生まれのルーマニアのピアニスト、1950年に33歳の若さでリンパ肉芽腫瘍によりこの世を去られました。このアルバムは1950年9月16日ブザンソンで行われた最後のコンサートの録音で、リパッティが亡くなる3ヶ月程前のものです。主治医の説得を振り切りこの演奏会に挑んだリパッティ自身も聴衆達も、彼の死期が近づいていることを知っていました。リパッティの音楽に対する敬虔さが伺える渾身の一枚。ボロボロの体で弾いているとは思えない素晴らしい演奏です。 ピアノも殆ど触った事のない素人の私がreviewするのもおこがましいのだけれど、Lipattiせんせいのピアノはライナノーツや余所様のレビュでもお見かけするように、本当に祈りそのものだと思うのです。上品で、ひたむきで、厳しさもありながら時折優しさも垣間見えます。華やかさや情熱もあるのだけれど、矢張り、一言で表すとするならば『敬虔』としか言いようがない気もします。この盤ではシューベルトの即興曲第二番が私ノお気に入り、不覚にも泣いてしまいました。どの曲も珠玉。ただ、アナログ盤時代に収められていたというアンコールのバッハのコラール、これが聞けないのが非常に残念です。 好きなピヤニストを挙げよ。と言われたら、絶対リパッティを挙げるでしょう。(単に奏者をあまり知らないというのもあるけれど)