カタチがないという、「カタチ」
カタチがないという、「カタチ」

カタチがないという、「カタチ」

皆様コンニチハ。
お盆休みも終わり、今日から会社…という方も多いのではないでしょうか。
だいぶ涼しくなってきましたが、残暑厳しいこの頃、皆様ご自愛くださいね。

サテ、閑話。
私はこの数か月、なんだか自分の立ち位置というか存在定義というのは何ぞやと悶々と思いあぐねていました。

色々な人との関わりの中で、Aと定義される人達との関わりがあるから私はAなのかも。Bと定義される人達との関わりもあるから実は私はBなのかも。でもAとBどちらとの関わりもあるから、どちらでもないCなのかも…といった風に。
私は人生の長い時間、何かの形であるということに拘っていたのかもしれません。
選民意識や自分が特別という意識で、カタチというものに拘っていたわけではないと思っているけど(それもあるのかなあ…それで誰かに嫌な思いをさせていたなら辛いなあ)
ともかく時空回廊の旅をしているみたいで時々切なくて、一つの形で「在る」ということに執着していました。
不動であることが私にとっても正しいことだと思って、それこそがこの孤独を癒す方法だと思っていました。

…が、やはり私のタマシイの性質は本来カタチが曖昧なんだということに気付いたのです。
水のような空気のような。

ある人と話している時に、「あなたは、ミスト(霧)っぽいね。」と言われたことがとても印象的で。
けして大地とのコネクトが希薄なわけではない(グラウンディング云々の話ではなく)と思っているけど、好きな時に形をとって、あとは漂っているようなもの…。

みんながそういう一面を持っているのかもしれないけど、私はその気質が人より少し強いんだろうなと思います。
その性質は大事にしなくちゃいけない、自分の個性でもあるんだと、改めて、それを実感したら、どこかに何かを置き忘れたような寂しさも、少し愛おしく思えたのです。

何かになることで孤独を忘れようとしていた自分だけれど、
今度は孤独に自分で寄り添ってみようと思います。

なんだか纏まりのない話だけど。
どこかで同じような孤独に寄り添っている人がいれば、そこに届くといいな。

photo from Unsplash 

Anna

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