福島県
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あいすることはチャレンジだ

先日、千春兄貴が福島に遊びに来て下さいました。会津の仲間たちと兄貴をお迎えしてきましたよ。 猪苗代湖に行きたいという兄貴のリクエスト以外、何も決まってなかったのですが、突如、新潟は弥彦神社に行くことになりました。またかよ(笑)もうほんと腑に落ちないんだけども、弥彦には月イチぐらいで通わせて頂いている。もしかしたら私はある部分で弥彦と人を繋ぐような橋のような立ち位置にいるのかもしれないなぁと思ってみたり。以前、弥彦と自分の関係で引いたカードが「AEON<永劫>」だったからなぁ…色々諦めてます(遠い目) 美しい弥彦の自然と、日本海、みんなで巡るとてもいい時間でした。 さて兄貴の龍御伽セッションを6月に受けたことは記事にも書かせて頂きましたが、その時に相談した内容が恋愛とかそういったようなテーマのことでした。この時に言われた魂の思考のくせを意識しながら3ヵ月やっていこうという話でしたが、とにかくこの3か月というのは、男性や恋愛、誰かと関係を築くことに対して、心が傷つき、深く拒否しているのを改めて感じるような期間でした。そしてそれが「私は愛するものを傷つける存在だ」という自分を幸せにしない信念から来ているもので、もうその信念にほとほと飽きているということも…。 その後、9月に兄貴の十和田湖からの四代元素の遠隔ヒーリングを受けました。そのシェアで「尻込みすることが来ますが乗ること。無視しても乗るしかなくなるから。」とあり、自分でもトートタロットのワンド8を引いたりしていて、思い当たる節もないけど何が起きるの?!コエ―!!!と思っていたら、次の週ぐらいに電光石火の如く「彼氏」ができたというね。あんなに恋愛無理だーーと思っていたのでこの展開にはびっくりです(笑) 彼と初めて会った日は、龍御伽のぴったり3か月後、十和田遠隔のぴったり一週間後でした(笑)本気で向き合いたい事柄、動かしていきたい事柄へ対する兄貴の後押しの魔法の力強さはあいかわらず凄い。ありがとうございます。 しかしながら、私には、「自分が関わることは全てダメになる相手を傷つける、そんな私は愛されるに値しない。」…という古い思考回路があるので、実際には傷ついているのは自分だとしても、相手や何かを愛するということエネルギーをかたむけることが非常に恐ろしく、とてつもなくチャレンジなことなのです。今まではその思考回路があったので、愛情を注いでも育たないところ…誠実さや優しさからは離れた人ばかりを選んでました。そういう相手なら自分が傷つけることはないだろうという無意識の思い。そして傷つけるより傷つくほうが慣れてるから楽だという、ある意味魂の需要と供給ですね~。そういう意味でも彼は今まで出会ってきたどの人とも違う誠実さや優しさに溢れていてピュアなハートの持ち主、日々彼と関わることで、「私が愛するものは傷つかない、全力で愛してもいい。」という思考に少しずつスライドしていっているのを感じています。いつかはその古い思考回路がもっともっと細くなればいい。相手と自分を信頼すること、愛すること愛されることは、チャレンジ。ほんと鍛えられてますし、いつもたくさんのものをありがとう。 そんな彼も連れての弥彦探検でした。なんだか新鮮な一日でした。ものすっごいHPMP使ったけども(笑)色んな人が関わってくれることによって再確認することや、新たに知ることがあるので、面白スポットに何度も色んな人と足を運ぶことが楽しいです。ええ、厨二なので。 最近、関わる人の向こうに世界が透けて見える(感じる)時があります。時の精霊?自然界のディーヴァもしくはエレメンタルのようなものが見せてくれる景色。それを感じた時に、いつも思うのは、もっともっとこの世界を全力で愛したいなあということ。 だからわたしはこれからも愛することには背中を向けたくない。立ち向かっていきたいなぁと思うのです。  ↑兄貴からお土産でもらった長野の神社の御守り。色味とデザインが素敵でバッグにつけてます^^

兄貴とめぐる磐座&猪苗代湖のたび

先日、千春兄貴が福島にいらっしゃったので、磐座&猪苗代湖巡りツアーを決行しました☆ 過去にも何度か兄貴には会津~福島に遊びに来て頂いておりまして、またこの地にお迎えできること嬉しく思います。 兄貴だけでなく、西の皆様やご縁の方に福島に足を運んでもらえるのは嬉しいことです。今後も全力で福島観光大使(お連れするところはめちゃくちゃマニアックな場所限定)させていただきますっ。 そしてこの日、最初に訪れたのはペグマタイトの白い磐座。こちらは阿武隈山脈系のペグマタイトの岩盤が露出しており、それがそのままご神体の磐座になっているとっても珍しい場所。神社がある場所は、丹伊田といい近くには鬼生田(おにうだ)という地名もあることから、丹生(にう)、丹=水銀を思い起こさせます。水銀が取れたというような話は調べても出てこないし、鬼生田の名前も昔ここに田村麻呂に退治された鬼が住んでいたということが名前の由来みたいですが、古代、ここには水銀や製鉄に関わる一族が住んでいたのかもしれないとこっそり妄想しています。。笑それにしても見事な磐座~、ほんといつ来ても光がいっぱい降り注いでいる気持ちの良い場所です。兄貴が「春のような場所」と仰ってたけど、まさに。しばらくボーっと佇んでおりました。 そこから移動して某所へ。笑 こちらは県内でもわりと有名な巨石群のあるお山なのですが、春にハトコと来た時に、人間の利己的な想念によって美しい自然と巨石がここまで無力化する様を見せつけられ「ナ二ココキモチ悪いw」となった場所。はい、ペグマタイトで天国を見て頂いた後は地獄へお連れいたしました(笑)先月、アフガニスタン展を見た時も思いましたが、人間の利己的な想いが自然や文化を簡単に破壊してしまうということ。それが世の常だとしても悲しいものです。奥の遥拝所とその下にある雨乞いの場所だけ、古代の穏やかだった時間とエナジーが残されています。ここだけでもこれからの世代も繋がってゆきますように、との思いで瞑目しました。 地獄山(笑)から最大の目的地である猪苗代湖へ。 兄貴、何かを召喚するの図wwではなく、猪苗代湖からお仕事をするの図。兄貴曰く「猪苗代湖は光のエネルギーが強い湖。」だそう。この日も風と空が凄かったな~。後ろから眺めつつ、猪苗代湖とご縁のあるヒトをこちらにご案内するお役目もあるのかもしれないと改めて思った1日でした。 最後に訪れたのは、水と森のエナジーの気持ちの良い場所^^ 1枚目はここのヌシ様^^いつもここ来るとこの木に鳥が止まるのはそのせいだったのかとすごく納得~。 震災の年に、「ヒトがいなくなっても自然は美しく、そして続いてくものなんだ。」と強く感じる瞬間がありました。地球に間借りさせて頂いている私たち人間の残酷さ、哀しさと、そしてそれを飲み込むかのような畏怖すべき自然の美しさ。人間色が薄い(笑)兄貴と話しているとそんなことを思い出したり、考えたりしてしまいます。 こういった美しい場所が未来にも存在し続けていけますように。 兄貴、ご一緒で来て楽しかったです^^ありがとうございました!

心清水八幡神社(福島県河沼郡)

福島県河沼郡会津坂下町塔寺字松原2908北緯37度34分32.7秒 東経139度47分51.7秒 祭神 :  誉田別命    息長帯比売命    比咩大神相殿: 仲哀天皇 仁徳天皇 武内宿祢命創建 : 天喜3年(1055年) <ご由緒・歴史> 心清水八幡神社は高寺山南東に位置し、道路を挟んだ東隣には恵隆寺(立木観音堂)がある。社伝によれば陸奥守源頼義が天喜3年(1055年)にこの地に八幡神社を勧請したことがはじまりだという。現在の社殿は文久年間(1863~65年)に会津藩によって造営された。現在、神社には『塔寺八幡宮長帳』と称される長大な日誌と鰐口が保存されており、それぞれ国の重要文化財に指定されている。(Wikipediaより抜粋)   天喜3年(1055年)6月 源頼義・義家公が奥州征伐の時、山城国(京都)石清水八幡宮を当地に勧請し戦勝を祈った。功成り同5年義家公は社殿を建 て、恒例の神事や祭礼を定め河沼郡総鎮守と祭った。以来、旧領主はもとより官民ともに崇敬あつく、社殿は、金塗りの美をつくし、神主、社僧の奉仕により、 神領に神役を定めたこと現存の宝物によって証することができる。寛文7年(1667年)保科正之公は神社制度を改め、社僧を廃し仏像や仏具を祭らず用いず、古来の唯一神道に復し、会津5大社の一として会津大鎮守、当地方3万石の鎮護と祭った。また社殿の修覆は、藩主の寄進と定め、神事祭礼のため当村内に30石を社領とした。天保11年(1840年)12月、旧社殿炎上し、松平容保公は、藩費にて御造営、文久3年(1863年)に御造営が行われ、本殿(奥の院)は会津盆地を一望の翠山の山上に総欅材で会津藩最後の建造物である。明治6年(1873年)には、当郡唯一の郷社に列し、「塔寺八幡宮」を「心清水八幡神社」と改称した。大正13年(1924年)に至り県社に昇格した。また古くより戌・亥歳生れの一代守り神、卯の日が縁日であるから卯歳生まれの守り神である。 神泉 義家公が社殿建立の時、心身を清めるため禊の神泉を夢のおつげによって求められ、「心清々し(こころすがすがし)」と発せられたので、「心清水 (こころしみず)」と云い、これに因み「心清水八幡」と称える。また産子清水(おぼこしみづ)とも云い、神水にて粥を食すれば産婦の母乳に霊験ありとい う。西五百mにあり。 (社伝より抜粋) 境内社 :  稲荷社(倉稲魂命)     出雲社 (大国主命、事代主命)                  箱根社 (市杵島姫命)                  北野社 (菅原道真)                  加茂社 (賀茂別雷命、玉依姫命)                  伊勢宮 (天照大御神)                  若木社 (少彦名命)                  春日社 (天児屋命)  <祭礼>毎月卯の日。例大祭、神輿渡御。初卯祭(はつうさい) 毎年、春は4月、秋は11月の初卯の日。 会津にも前九年・後三年の役による源頼義・義家親子の足跡が多く残っていますが、心清水八幡神社もそのひとつ。 大きな木が沢山生えているためか、鳥居の一歩中へ入ると凛とした空気が漂っています。拝殿の後方に本殿に上がる階段が伸びていて、山の中腹?開けたところに本殿が建っています。 不思議なことに、本殿より拝殿のほうに神々しさのようなものを感じるてしまうのは私だけ?笑 心清水八幡神社は高寺山の麓に座しており、東には立木観音で有名な恵隆寺が建っています。高寺山には、奈良に仏教が伝来するよりも前の、欽明天皇元(540)年、梁の国から渡来の高僧 青巌 (青岩とも) がやってきて寺を開いたという伝説があります。 また高寺山山頂には前方後円墳があるようです。この辺り一帯は青津の亀ヶ森古墳・鎮守森古墳などを含む古墳密集地域でもあります。只見川と阿賀川が合流するこの辺りは、古来より様々な人の往来があったことでしょう。

トリニティよ、時を動かせ

先日、7月11日から13日までの3日間、京都の汝吾賀(ナーガ)のお二人、セレーナMariaさんと中将ゆみこさんが会津にいらしてくださいました^^お二人を連れてこちらのメンバーと会津や新潟の土地を廻ってきました。私があちらにお邪魔している時はいつもお世話になっているお二人を、大好きな場所にお連れすることができ嬉しく思っております。 1日目は、猪苗代湖と裏磐梯の湖水巡り^^ ※写真は表から見た磐梯山と裏から見た磐梯山。 会津も歴史の深い場所ですが、磐梯山の噴火で出来た裏磐梯の湖水と森たちは、人の歴史の重たさが一度リセットされたかのような軽やかさと清清しさで。 自然の三位一相、死と再生のプロセス。新しいはずの湖水や森はさながら太古にタイムスリップしたよう。  五色沼(毘沙門沼)の水がキラキラ輝いていました↑ ◇ 2日目は、足を延ばして新潟は弥彦神社へ。ここには書ききれないようなミラクルとミステリー続きな1日でした。笑去年、会津の三人で弥彦に通い詰めていた時期がありましたが、その時やり残したことの続きが思いがけず、お二人の力を借り、為されることとなり、驚きの連続でした。 今まで訪れた弥彦の中で一番穏やかな弥彦でした。龍たちもたくさん来ていて~~^^ 会津の三人も三者三様に時空や次元を超えて関わっていたのだなあとしみじみ感じていました。   ※反対側の多宝山からも不思議な雲が伸びていました。太陽の周りに日輪も^^  ※たまゆら^^ そして今回、初めてとある場所を訪れました。弥彦の日本海側にある妻戸神社近くの、とあるお寺。 ここには最古の即身仏があるそうです。時間が遅くて即身仏は見れませんでしたが、即身仏という時を止めた象徴があるような場所で、けれども反対に、『時やエネルギーのフローを止めてはいけない。自然の摂理=トリニティよ巡り続けろ。』と、なんとなくではありますが。そう強く感じていました。 最後には野積の浜に出て、みんなで大人の夏休み。ここは弥彦の神が上陸した浜だと言われています。美しすぎる空と海^^ 今年初の海ですよ~~。海水に浸かったの何年ぶりかな?^^ 良いミソギになりました~。 ◇ そして最終日は、地元の名もなきお社へ。町史に少しだけ記載があるだけの小さなお社ですが、この大きな磐座大好きで良く通っています。実はお二人には秘密にしていたのですが、お二人を必ず連れてくるからね~と前々から約束していたのでした。 そこから移動して郡山市は湖南方面へ。山の中にある隠津島神社へ。ここも磐座がご神体のお社。 沢山の蝶に迎えられ、美しい森と水のエナジーに癒されるひと時をお二人と過ごすことができ、嬉しく思います。 最後に立ち寄った猪苗代湖は初日と打って変わって、空の雲の色を写し、白銀の世界。天鏡湖という別名もあったなぁと改めて思っていたのでした。写真だと美しさが全然伝わらなくて無念です!笑 お二人にぴったりのまるで女神のような湖と磐梯山でした。 ちょっと早めの夏休みをお二人と、会津のメンバーと、自然いっぱいの古代のエナジーを感じながら過ごすことができ本当に楽しかったし、嬉しかったです~!本当にありがとうございました!!! Anna

陸奥国磐瀬郡鎮座 桙衝神社

連休後半はお休み返上で出勤していたのですが、最終日は某様と福島県須賀川市の桙衝神社へ。(今回は写真あんまり撮らなかったので一部以前撮ったものを使用してます*) 鉾衝神社は亀居山をご神体山とした神社で、約2000年前に日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折に柊の八尋の矛を突き立て武甕槌命(タケミカヅチノミコト)を祀ったことに始まる伝承があります。ヤマトタケルがどーにも気になるっ!という時期がありまして、県内にもタケル伝承あるのかな?と調べていた時に一番最初に見つけたところでして、たまにドライブがてら会津から磐座にご挨拶にきてました^^ご祭神はタケミカヅチとヤマトタケルの二柱。 神名帳考証では穗己都久命(ほこつくのみこと)というワダツミの孫で安曇族の祖にあたる方が祭神となってます。 本殿背後の山頂突端部分に要石と呼ばれる磐座がありまして~、そこから古墳時代後期の祭祀遺物が出ているそうです。 神社の詳しいご由緒は大火で焼失してしまったようですが、弘仁12年には弘法大師がやってきて亀居山上の厳石に「不動」の梵字が浮かび上がったことから、霊地とし、麓に長光寺(現:長楽寺)を建立したなんていう伝説もあるという歴史ありげな神社です。江戸期には鹿島神社と呼ばれていたようで、山門には鹿島神社の表札が。 そうそう長光寺の弘法大師ですが、長光寺から丑寅の方角に夜な夜な光る塚があるから、怪しいと思って掘り起こしてみたら神鉾が現出したので秘蔵して、祭神のご霊代として崇めたそうですよ。しかも清和天皇の御代には蝦夷討伐で蝦夷人を殺し過ぎたことの、怨霊の崇りを恐れ、色々な所で祈祷したらしいのですがね、この長光寺でも衆を集め読経して、経典や法具などを埋めたそうです。 ご神体山の亀居山ですが、実際、上の磐座はとてもまろやかで女性的な瑞々しいエネルギーをしているのですが(個人的な感想ですよ)下の神社はかなり男性的で武張ったかんじ。麓・中腹・山頂でまったく違ったエネルギーです。 ところで私の中でヤマトタケルは東征したヒーロー(関東・東北側から見たら悪人なのか)ではなく、なんかどっか物悲しいイメージもあるのよね。実は「タケル」は中央の人間ではなく、もともと東側のもののふたちの総称で、、後から中央の歴史の都合のいいように作り変えられた説もあります。そう仮定したとして、きっとタケルズ(笑)達の中には、阿弖流為のように最後まで徹底抗戦の人もいただろうけど、中央に屈して仕方なく同族と戦うことになった人もいたのかもと妄想してみました。でも中央の蝦夷・東国・辺境経営の歴史と切っても切り離せないのがタケルさまかな。 東北のタケル関連の場所を巡っていると蝦夷の抑え…もともと蝦夷やそれらの人と融合していた人々の聖地であった場所に、中央からの圧力があったように感じます。抑えとしての神もしくは巫女は同族でなければならなかったのかもしれない、なんて妄想してしまいました。 某様からのご意見もあり、色々と妄想が広がりました。そして某様のおかげで、鬼瓦がリアルすぎるという新たな発見もw 上の磐座、私にとっては大変心地よいのですが、万人にお勧めできるかと言われると「ううむ」な場所ではあるし、またこれから更に暖かくなると「結界か?!」と思わんばかりの藪蚊の大群に襲われますので、お出かけの際はお気を付け下さいwww ともかく、古代の息吹を感じる場所です。