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    突然の奈良たびに行ったよ。

     ひと月前の話になりますが(笑) 「GWの予定はあるのか。」とある日突然、父親に聞かれまして。「(滝沢歌舞伎以外は)ないよ。」と答えた私に、母が奈良の室生寺に行きたがっているので案内してやりなさいという謎の指令を頂き、急遽GWに奈良へ行っていました。しかも1泊2日で2日目のお昼の新幹線で帰るという…まさかの超強行軍。 折角だから、あちらで京都のお仲間にお会いできないかなと、日頃より連絡を取らせて頂いていCちゃんにお声をかけたら、室生大野口の駅にお仲間の皆様がサプライズで大集合してくださいまして、嬉しいのと吃驚したのでまじで死にました。笑 室生~初瀬を初日に皆さんとご一緒させて頂きました。みなさん、いつも本当にありがとうございます^^ 2日目は一人で二月堂と手向山八幡宮へ。数年前に奈良一人旅を決行した時、一番印象に残っていたのは室生と二月堂近辺でした。前にもブログに書いたけど、この時謎の体調不良に見舞われるというね。本当は熊野に行くはずが導かれるように奈良へ。 ご縁の場所なんでしょうね、奈良は。 興福寺脇の猿沢池には、室生と春日山との繋がりを示すような伝承が残っています。 奈良時代、采女が、一夜だけ帝からの寵愛を受けたのですが、再び召されることもなく、つらさに堪えかねて猿沢池に入水自殺をしたそうで。この地に住んでいた竜神が、釆女の入水で池が穢れたので春日山の高山(香山)に移ったところ、ここも人間が近づいてきて五月蠅いので、室生寺の竜穴に隠居したというもの。 この物語にどんなものが秘められているのでしょう。室生と春日山の繋がりをいろいろ考えてしまいました。 さてこの采女ですが、出身が安積国。現在の福島県郡山市だそうです。地元じゃーん。笑葛城王(橘諸兄)が 按察使としてやって来た時に、スカウトされたみたい。こっち側の伝承や色々を妄想すると、なんだかとっても気になります。先日、郡山の采女&葛城王関連の場所にも出向いたので、またブログにご紹介できたらいいなと思います^^ Anna

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    ふゆのにしたび part3 高天彦神社~伏見八幡神社

    高鴨神社を後にした我々は、次の目的地である高天彦神社(たかまひこじんじゃ)を目指します。 高鴨神社の社務所で高天彦神社にはどういったらいいかお聞きすると、ちょうど良いバスも出ていないので徒歩でいくしかない感じ。 ご飯食べれるところorコンビニの場所を聞いたら、それも近くにはないとのことで、、とりあえず目的地方向へ歩いてゆくことに。しかしお昼抜きで相当な距離を歩いたわけですが、不思議とお腹が減らない。 葛城の景色があまりに美しくて、エネルギーチャージされたかな。 高鴨神社を出発して30分ぐらいかな~、ようやく『高天(たかま)』の標識が。高天彦神社のある高天(たかま)は神代の舞台であると言われる高天原のことで、天上の神々が住んだ地だとの伝承地であるとか。 急な上り坂をてくてく歩いてゆくと、高天彦神社の標識が。 「え、ここ上るの?!山じゃん。てか怯むぐらいの暗さなんですけど…。」と思いましたが、 標識はこっちだっていうし、上るか!と思っていたら、後ろから近くの民家のおじさんがやってきて、 「右の車道が近道だから、女の子がそんな気味悪いところのぼっちゃだめだ。」 と優しいお声掛けをいただいたので素直に従いました。 高天彦神社に続くこの山道、まつろわぬ民である土蜘蛛が住んでいたといわれる窟があるそうで、気になっていましたが、後から登った人の話を聞くと本当に薄気味悪い場所らしく、あそこで止めてくれたおじさんに本当に感謝したのでした。ありがとうございます。 写真で見るとそんなでもないですが、ほんとためらうような感じのとこだったのだよ~。 近道だという傾斜が地味にきつい車道を登りきると、開けた場所に出ます。 これがきっと高天原なのでしょう~。とってものどか~~^^ そして目的地の高天彦神社に到着です。 高天彦神社(たかまひこじんじゃ) ご祭神は葛城氏の祖神である高皇産霊尊(たかみむすび)。元々は葛城山の地主神の高天彦を祀っていたとも言われており、古くは高天山と呼ばれた金剛山麓に広がる台地上に位置し、天上の神々が住んだ高天原の伝承地でもあります。 。社殿後方のピラミッド型の白雲峯(694m)を御神体とする、自然信仰の名残の神社です。 や~~~~、すごくいいところなんですけど、今までの二つの鴨社と違って空気が妙に張り詰めている。 千晶ちゃんと手を合わせ、お社の周りをぐるぐるしていると不思議な石を発見。 妙に気になったので、二人で長いことこの石の前で手を合わせていたのだけれど、帰りに調べていたら、なんとまあびっくり。 蜘蛛窟に住んでいた土蜘蛛を殺して埋めたのがこの石の塚のようでした。 手を合わせながら土蜘蛛たちの想いや葛城一族、葛城王朝、鴨一族などに想いを馳せました。古代この土地にどんなエネルギーが降り注いでいて、そしてヒトの歴史のなか、どんなものをお山は見てきたのかな。 この土地に導いてくれたすべての魂たちに静かに感謝させていただきました。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ さて、高天彦神社から、名前で気になっていた伏見地区にある、伏見八幡神社(ふしみはちまんじんじゃ)へ寄ってみることにしました。近道だという山道が、ガチで熊とか猪とかが出てくるレベルの山道で、、、 土地勘もない、そして地元の人もあまり通らないであろうこの山道で飯も食わず一体なにをしているんだ我らは。とネタが増えて密かに喜んだ私は変態だと思います。 最後に寄った伏見八幡神社。こちらも温かく迎えてもらえた感覚があり、大きな風と共に、そこに暮らしていた人々や神々のことを思い涙がホロリしそうでした。昨日の伏見稲荷ともつながる、水の美しい土地。 神社の裏手は沢山の小さな神々が祀られており、一番奥の弁天社は古墳の上に立っているそうです。 それにしても葛城の山々や空には、そこにある寂しさや悲しさもすべて内包し昇華するような、力強い美しさがありました。土地に呼んでくれた葛城の神々と精霊たちに感謝です。 あ(明日香編へつづく…まだあるの?!) Anna

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    ふゆのにしたび part2 三輪~鴨都波神社・高鴨神社

    西旅二日目は奈良県へ。 前日もご一緒下さった千晶ちゃんと一緒に御所市は葛城古道を歩いてきましたよ~~^^前日のMariaさんのセッションで、葛城との魂のご縁があるとのことで、いざ葛城へ。前回も奈良とのご縁を感じる旅でしたが、魂的にもよっぽど奈良が好きなんだろうな~と。しかし、まさか葛城の土地を巡ることになるとは思っていませんでした~。まさに、いきあたりばっ旅。 待ち合わせはお昼だったので、午前中に一人で三輪にも行ってきました。桜井線から見える奈良の景色にやっぱりうるうるきちゃって。奈良の大地との魂の繋がりを感じました。大神神社、狭井神社、久延毘古神社などをまわってきました~。久しぶりの三輪の土地にも感動~。曇り空の三輪でしたが、大神神社の境内に着くと雲の隙間から一条の光が。 あ、ご朱印帳デビューもしちゃいました(笑) さてさて三輪にご挨拶し、電車に揺られ御所市へ。御所についたら曇り空もどんどん晴れ渡ってゆきました^^千晶ちゃんと合流して、御所駅近くにある鴨都波神社(かもつばじんじゃ)へ。 ここは三輪の大神神社の御祭神の息子である積羽八重事代主命(つわやえことしろぬし)が祀られていることから、大神神社の別宮ともいわれるそうです。 鴨族によって祀られた神社で、古い社名は“鴨都味波八重事代主神社”(かもつみわやえことしろぬしじんじゃ)で、「代主(しろぬし)」は田の神の古語、 「鴨都味波」は鴨の水端(みは、みづは) 、すなわち鴨の水辺の意、「八重事」はしばしばの折り目という形容で、つまり「鴨の水辺で折り目ごとに祀られる田の神」という御神名であるといいます。 一帯は「鴨都波遺跡」という遺跡で、弥生時代の土器や農具が多数出土しており、古くから鴨族がこの地に住みついて水稲農業をしていたようです。 とっても瑞々しくて穏やかな、素晴らしいお社^^境内でうろうろしていたら奥の建物から宮司さん?らしき方が出ていらしたので、ご朱印と拝殿前で写真をお願いしたら、折角だからと、普段入れない本殿前まで入れて下さり、そこでお写真パチリしていただきましたっ~~、感激っ。これからどこへ行くのか聞かれ「どこがおすすめですか?」と聞くと色々教えて下さいまして、本当に素敵な方でした~~^^これもお導き♪と、意気揚々バスに乗り込み次の目的地に。「風の森」というバス停で降りて、目指したのは高鴨神社。のどかな田園風景のなか、てくてく歩いてきます。 や~~、しかしなんて葛城の土地は素敵なところなんだろ~~~。到着した高鴨神社もしかり。ここのエナジーは本当に素晴らしすぎて、最初から最後までうるうるしっぱなしでした。 高鴨神社。全国鴨(加茂)社の総本宮で弥生中期前より祭祀を行う日本最古の神社の一つだそうです。鴨氏一族の発祥の地であり、鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が鴨都波神社を、東持田に移った一族が葛木御歳神社(かつらぎみ としじんじゃ)を祀り、後に、高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになったという歴史があるのだとか。 神社のHPでご由緒拝見したら、ご神域は鉱脈の上にあることが書かれていました~~。 感激と共にひとつひとつのお社に挨拶させていただきました。御祭神は阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)。またの名を迦毛之大御神(かものおおみかみ)と言うそうで、神社HPによるとこの大御神と名のつく神様は天照大御神・伊邪那岐大御神と三神しかおられず、死した神々をも甦えらせる事ができる御神力の強き神様であるそうな。 アジスキさん、なんか昔から好きでね~。地元や近県の気になる場所・・・日光の二荒山や福島の都々古別神社もアジスキさん祀ってるところだったりして、きっとご縁のある神様なんだろうな~と思っていました。  境内に大きな大きな池があるんですけど、これが本当にまた素晴らしいのです~~。 摂社末社のご祭神名にも見たことない神様の名前が書かれているお社があったりして、とってもおもしろかった~。この土地の奥深さを感じました。 なんとなくね、イメージカラーはオリーブグリーン~モスグリーンな場所でした。 境内の裏手に民家の畑があり、そこに小さな祠があったので、近づいてみると、祠の脇に龍の形をした木が。すごい~。 葛城古道のたび、もう少し続きます。

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    ふゆのにしたび part1 京都・伏見稲荷~藤森神社

    去年の年末、再び京都~奈良の旅に出ていました。どんだけ西が好きなの、わたし(笑)11月末に、「行かなきゃ!」と急に思い立っての旅だったのですが、今回もミラクルトラベルで(笑)ちょっとまだ半分魂があっちに行ってる感じですw 初日には、折々にお世話になっている京都のセレーナMariaさんの元を訪ねました^^今回、伏見稲荷に連れて行ってもらうことになりまして、人生初の伏見稲荷でもあったためにかなり観光気分で訪れてまいりました。 年末の伏見稲荷は人がいっぱいでした、特に外国人観光客の数といったら! 久しぶりにthe観光地に来たな~って感じでしたが、境内からご神体でもある稲荷山へ足を進めると所々に静かな空間があり、もともとはとても静謐で素晴らしい場所だったんだろうな~と。 弥彦の湯神社や茨城の御岩神社に、少し雰囲気が似ているかも。そして稲荷山は本当に広いデスネ~。皆様の案内がなければ絶対に迷っていた、、いえいえ帰ってこれなかったことでしょう。 あ、境内の人の居ない某所にて、地面に跪き、叫ぶように祝詞を上げている変わった人(マジ)がいて(祝詞というかもはや呪詛では?という感じで怖かったのですわ)一瞬ホラー映画の一場面に遭遇したのかと思って、とてつもなく怯みましたが、その祝詞シャウトおじさんの後ろに一列に並んで無言の圧をかけるMariaさんたちも剛の者だなと思いましたね。笑 前回の奈良旅での春日大社での土砂降りといい、なんかそういうのもネタの一部よね~~と、その時はするりと流したけど、稀有なものを見たなと帰宅してから思いました。 ああいうのってあるんだなと。 これは参道途中にあった長者社ご神蹟を祀る「御劒社」と剣の手水舎。かわいい♡写真撮るの忘れたけど、御劒社のお社の後ろには、雷石というおっきな磐座が注連縄でぐるぐる巻きになっていました。個人的に伏見稲荷で一番気になった場所です^^帰ってから調べてみたら、これは雷神を祀る磐座で、長者社のご祭神は鴨玉依姫なんだそう。ということはこの磐座は丹塗矢に化身して玉依姫と交わった火雷神か、二人の子供の別雷神をあらわしているのでしょうか。長者社は伏見稲荷の創建に深くかかわった秦氏の祖神を祀るお社だそうですが、ここに鴨氏の玉依姫が祀られることからも、鴨氏と秦氏の深い繋がりを改めて感じました。そもそも、伏見稲荷の祠官家大西家の家系図では、伏見稲荷の創始者・秦伊侶具(はたのいろぐ)が鴨県主久治良の子であり、松尾大社の創始者・秦都理(はたのとり)が鴨禰宜板持と兄弟であったとしているそうです。 実は今回の旅で、葛城や鴨族とのご縁を感じていたのでしたが、初日にもこうして鴨さん関係の場所を訪れていたのかと思うと感慨深いです~。 さて、伏見の語源、いろいろな説があると思いますが、伏見は=「伏し水」のことだそうで、豊かな水の土地であることがうかがえます。稲荷山では水のエナジーや、龍のエナジーを感じるところも たくさんありました。原始の稲荷山は、今とはもっと違った景色だったのかもしれませんね。 こんな立派な樹も生えていますよ~^^一般ルートを外れて、静かな森の中、心地よかったです。 山を下りて、この日の最後に大岩山麓の藤森神社へ。神功皇后が創建の由来になっている古社で、元々は伏見稲荷の地にあったそうですが、伏見稲荷勧請の際に押し出されるように現在地に移ってきたそうです。境内で白猫さんが我々をナビゲートしてくれました。落ち着いた素敵なお社でしたよ^^ 突然決めた西旅で、急なお声掛けにも関わらずお会いして頂いたMariaさん、千晶ちゃん、小山さん、本当にありがとうございました~~~~。みんなでパチリ^^ 2014年は二回も皆さんにお会いできたことに本当にうれしかったです~~~!!! 西旅は、奈良編につづきますっ

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    いやひこの聲かすかに。 ~弥彦神社探訪記②~

    今回、弥彦神社に関する摂社や旧跡地を回りました。その中でも、弥彦山の日本海側に面している野積の妻戸神社(つまどじんじゃ)は、天香山命の妻である熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)が祀られる神社です。 弥彦大神が野積海岸に上陸し塩造りや漁業、醸造技術を伝えた後、内陸部を開拓するために妃神を残り山を越えました。生活が定まった後で妃神を呼ぶつもりだったが妃神も一緒に移りたくて後を追いかけました。行き先を口止めされていた木こりが妃神に山越えの道を教えようと口を開けたとたん石になってしまいました。妃神は自分の欲を詫び追いかけるのをあきらめてここに留まり、弥彦大神の開拓の成就を祈り、また石になった木こりの霊を慰めたといいます。というようなご由緒のある神社です。 ※階段の手前に御幣(ごへい)が刺してあり、ご神体の大岩に近づくのを拒んでいるようです この地では新酒を造り、その良く澄んだ酒をまずこの大岩に献じ口開けすることから、ご神体の大岩を「口開け岩」ともいうそうです。 妻戸神社の目下に広がる野積、ここは酒造りが盛んで、野積杜氏は全国に良く知られていますが、この杜氏という言葉、女性の家長を表す「刀自(トジ)」という古語からきているという由来があります。というのも古来、お酒を醸造したり神にささげるのは女性の仕事だったからだそうですが、刀自は女性首長を表すコトバである戸辺(トベ)などにも繋がりますし、この口開けの祭りも、妻戸の女神と巫女たちに機縁しているのかもしれません。  ※彌彦山山頂から見た日本海と越後平野↑ Anna

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    いやひこの聲、かすかに。 ~弥彦神社探訪記①~

    ここひと月という短い間、お隣の新潟県にある弥彦神社に通い詰めていました。笑「おやひこショック」「おやひこ事変」ww と呼んでもいいかもしれない。呼び寄せられるように地元会津の仲間達と弥彦通いをしていました。 ※↑2008年と2012年の写真。 彌彦神社(やひこじんじゃ)は、新潟県西蒲原郡弥彦村にある、彌彦山をご神体山とした、越後国一宮です。正式には「いやひこじんじゃ」と呼ばれるそうです。弥彦のご祭神はニギハヤヒの息子で尾張連の祖でもある熊野の天香山命(あまのかごやまのみこと)~またの名を高倉下(タカクラジ)・手栗彦(タグリヒコ)~だと言われており、弥彦山山頂のご神廟に妻である熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)と共に祀られています。天香山命(高倉下)は神武天皇が東征中、熊野で悪神の毒気により倒れた時に、布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)をもたらし覚醒させた、神武東征の功労者です。 ※彌彦山遠景、左が国上山、中央が彌彦山、と十宝山、右手に角田山。 (続く) Anna

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    にしたびつれづれ ~7/21 滋賀編~

    にしたびつれづれ最終話。ブログ更新するのが激遅で申し訳ないです。 21日、三日目は滋賀県は琵琶湖の北端に浮かぶ信仰の島、前日ご一緒させて頂いたCちゃんと竹生島にやってきました。Cちゃんとは、実際にお会いするのは2度目。奈良をご一緒した皆さんもそうですが、お会いしていない間もFBやLINEなどで頻繁にやり取りさせて頂いたからかもだけど、2回しか会ってないなんて思えない馴染みっぷりです。笑 朝、後ろ髪をひかれつつも、奈良を後にし、待ち合わせ場所の京都駅へ。Cちゃんと合流し、湖西線でゆっくり近江今津駅を目指します。1時間ほどの列車の旅ですが、話が盛り上がりすぎて近江今津までほんと「アッ」という間でした。 きちんとご対面するのは、実は初めましてな琵琶湖。や~!ほんと海みたいな大きさ!お天気は良いし、最高の琵琶湖日和でした。 以前、Mariaさんが会津に来て下さった時に、歌を奉納して下さった故郷の猪苗代湖の浜辺。その浜の名前の由来にもなっている近くの神社は琵琶湖ともご縁のある場所。なので、ずっと琵琶湖は気になっていたのですが、 でもまさか琵琶湖に、竹生島に自分が行くことになるとは思ってもいなかったので不思議な気持ちです。 さて竹生島に到着し、八大龍王遥拝所にて、琵琶湖にCちゃんと共に手を合わせられることができました。有名なかわらけ投げの鳥居も見れましたよ。     一度ぐるりと島内をめぐり、船着き場への道まで戻って来た我々。炎天下の中、もう一度階段を上り、導かれて人のいない道の奥へ奥へ。琵琶湖のお水に触れるぐらいの場所を発見! Cちゃんが歌を奉納してくれました。龍雲がいっぱい、キラキラな琵琶湖の水、龍たちや水の精霊たちに感謝をささげながら。 帰りのフェリー、琵琶湖の上にたゆたって、故郷の猪苗代湖のことを考えたりもしながら。ただ感謝の気持ちを琵琶湖に送り続けました。   そして我々は一路京都駅へ戻り、御蕎麦を食べてスイーツを食しながら、ひたすら話し込み…、あれだけ喋ったのにまだぜんぜん話し足りなかったね(笑) また、ここに帰ってくることを西の大地と空とお会いした皆さんに誓いながら、京都駅から新幹線に乗り込み、東への帰路。頭にあったのは、美しいヒノモトの自然とシシガミさまのこと。 帰宅したら、海外に住んでいる義弟に預けていた自分の玉が、一時帰国中の妹の手により自分の手元に帰ってきてましたwなんだか自分の魂のカケラとほんとのチカラが戻って来たような、そんな象徴のような気がして微笑んでしまいました。 あ~~~、西の大地が愛しすぎて帰って来たことがせつないwww絶対またゆこう。うん。 石清水ご一緒して下さったOさん、そしてMariaさん、Cちゃん、Yさん、Kさん、素敵な瞬間をご一緒できた事に、たくさんの愛と感謝を♡ そして、旅日記を読んで下さった皆様にも感謝を。 東より、シシガミさまのエナジーと共に。 Anna

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    にしたびつれづれ ~7/20 奈良編 part Ⅱ~

    お昼にこんな美味しいもの頂いたんだぜ~^^ 春日荷茶屋さんの季節の茶がゆ、めっちゃ美味しかった。そうです、二月堂を後にした我々は、藤原氏の本拠地(春日大社ネー)にお邪魔する前に、腹ごしらえをば。 そしていざ!春日大社へ。 奈良一人旅の時は、春日大社あたりがMAX体調不良でふらふらで、本殿を見たかったのだけど、何故か「今日は入れない日だ」と勘違いしておみくじだけ引いて帰ったっけな。あんなに歩いたのに。そしてその時の印象の春日大社、良く分からないけど「これはなんか違う!!」と思ったことだけは覚えてマス。 さてここで小話をひとつはさみますネ。 春日大社の本殿廻廊の西南隅にひっそりとたたずむ摂社・榎本神社にはこんな言い伝えがあるそうです。 元々榎本神社は当地の地主神であり、春日大社が春日野に創建される以前から、この地を拠点としていた春日氏によって巨勢姫明神(こせひめみょうじん)という女神が祀られていました。 ある時、武甕槌命(タケミカヅチノミコト。現・春日大社の神とされている)は春日野一帯に広大な神地を構えようと一計を案じ、地主である榎本の神に「この土地を地下三尺だけ譲ってほしい」と言ったそうな。榎本の神は耳が遠かったために「地下」という言葉が聞き取れず、「三尺くらいなら」と承諾してしまいます。武甕槌命はすぐさま、榎本の神が所有する広大な土地に囲いをしてしまいました。榎本の神が「話が違う」と抗議すると、武甕槌命は「私は地下三尺と言ったのに、あなたが聞き取れなかっただけでしょう。約束通り、境内の樹木は地下三尺より下へは延ばしません。あなたは住む所がなくては困るでしょうから、私の近くに住んで下さい」と言ったので、榎本の神は春日大社本殿のすぐそばに住むようになったそうな。 それはさておき。 一人旅の時にはご挨拶することが出来なかった春日大社にようやく参拝することがかないました。そして我々は、春日大社をぬけ、御蓋山のエナジーをより感じることのできる森のほうへと歩いて行きます。 やっぱり木々の中は心地よいなと、森を奥へ奥へと歩いて行き、とあるお社の前で休憩していると、突然、セミ(ヒメハルゼミ?)が一斉に鳴き出し、辺りが暗くなり…そして遠くで雷鳴が鳴り出しまして…。 遠くで鳴り響いていた雷鳴がどんどん大きくなって一雨来るかなと思ったその時でした、、聞いたことのないようなうなり声のような大きな風が森の中を吹きぬけて行って、一瞬あっけにとられていた私たちでしたが、びっくりするぐらいの土砂降りの雨・雨・雨が降り出して、東屋に避難して雨宿りしました。 歪んだ時空が戻ったようなほんとに不思議な風だったんだよ~、まるでデイダラボッチが通り抜けたかのようでした。 森の中で、雨宿りしながらみんなで歌を口ずさんで。心地よかったな~~^^ 古代の春日の森とお山と自然、、そこに宿っていた本来のエネルギーに想いを馳せる素敵な瞬間。 この雨に全てが洗い流されてゆくような。 通り雨の後の快晴。若宮社のほうに足を延ばしました。緑がひたすらに美しかった。 そしてお参りしようと柏手を打ったら、着けていたブレスレットの石がはじけ飛びまして。…驚愕 石たちは何かもう見当たらなかったのです。(ばらまいてすみません)  奈良でもろもろの鎖が解けた気がして、あな、すがすがしや。この空である。 ご神木が、それこそもののけ姫の、シシガミサマが降りてくる木に見えてしょうがない。 春日の森、そしてここに息づくすべての者達。古代の神々よ、本当にありがとう。 そうして最後に我々は、甘いものを求めに、奈良ホテルのティーラウンジへ。古代米のケーキほっぺがおちるほど美味しかったよ~~~! 無事に奈良の1日も終了。別れを惜しみつつ、皆さんともここでお別れ。本当に素晴らしい奈良旅でした。Mariaさん、K山さん、Kさん、Cちゃん本当にありがとう!!!(お名前出して良いか分からなくて中途半端にふせました) 最後はやっぱりここから!みんなのこととか奈良での色々なこととか考えていたら、ここから離れたくなくて、しくしく泣いちゃった。笑 21日最終日はCちゃんと滋賀へ。もうすこしお付き合いくださいネ^^ Anna

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    にしたびつれづれ ~7/20 奈良編 partⅠ ~

    7月20日、西旅2日目。 実は、この日廻ることになっていた場所ですが、偶然にも5年ほど前に奈良に一人旅した時に廻った場所で、しかもその時、廻りながらありえないぐらいの体調不良に突如襲われた場所でした。歩みを止めたら死ぬ!と歩き回っていたのですが、とうとう精も根も尽き果て観光協会の建物のようなところで帰りのバスが出るまで死んでいたという思ひ出。腹痛と吐き気、頭痛、高熱すべてが一気に来て、風邪薬も胃腸薬も効かず。。。でもバスが出る5分前に、嘘のように治っちゃったの。。。 あれはなんだったのだ!と長年不思議に思っていましたが…。 お宿を出発して、東大寺で京都からの皆さんと待ち合わせ。てくてく街歩きを楽しみながら一人東大寺を目指します。 途中、桜井市三輪にまします大神神社の摂社で推古天皇の時代に創建された率川神社(いざがわじんじゃ)にもお参り。奈良市内最古の神社らしいですよ~。 今回は三輪に行けないので、遥拝所のあるこちらからご挨拶させて頂きました。 (あんまり良い写真撮れなくて、率川様のお写真なくてごめんなさい) 東大寺近くの氷室神社にもお参りしました。以前、奈良一人旅した時にネコチャンに導かれて偶然お邪魔したお社。奈良時代、この春日野に氷池や氷室を設け、氷の神を祀り、春迎えの祭りを行い、豊作を祈願する重要な祭りが営まれたようです。 また南都流舞楽の中心となった神社でもあり、拝殿は舞殿になっており、神主も楽人が務めたそう。雅だね~~。 ↓実際に氷が献じられていたよ^^ 更に歩いて、東大寺の南大門でMariaさんとお仲間たちと合流。以前、お会いしているお二人とも久しぶりの再会に喜びひとしおです!はじめましてのKさんとは、でもやっぱりはじめましてな気がしませんでした。笑 東大寺。相変わらずおっき~。この写真の快晴ぶりを、皆さん目に焼き付けておいてください。笑 そしてそして、少しの緊張を持ちつつも、ご縁の手向山八幡神社へ。     絵馬がちょうぜつ可愛かったよ♡ 今度は体調不良に見舞われることもなくご挨拶することができました。参拝中に 1羽の蝶が何かの印のように、私たちの周りをぐるぐると飛び回っていました。 手や肩にも止まって、とうとう二月堂までお供してくれましたよ。 手向山~二月堂~春日大社一帯は、元来、御蓋山や若草山をご神体山とする古代信仰の場所です。 自然そのもののエナジー、それをあえて形にしようとするならきっとそれは、もののけ姫に出てくるようなデイダラボッチ=シシガミ様のような姿だったのだと。前日訪れた石清水のように、春日の森もシシガミ様の森だったと、そう思います。春日の鹿さんはそれを教えてくれているような気がします。 そして私たちは二月堂へ。 前回、奈良に来た時はちょうどお水取りの時期でした。 お宿のご主人夫婦に誘って頂いて、二月堂のお水取り(修二会)を近くで見れるチャンスがあったのですが、時間の都合がつかなくて残念ながらお断りしてしまいました。Fさんその節はお世話になりました! 今、思えばこのお水取りを観に行けなかったこともとても深い意味があったと思いますし、 お宿でお会いした皆様との一瞬のご縁にも不思議なものがありました。 二月堂ですが、こちらは十一面観音を本尊とする仏堂で、大仏開眼以前から存在した、東大寺の前身寺院があった場所です。 お水取りは十一面観音に日頃の罪過を懺悔(さんげ)して五穀豊穣・除災招福を祈る、「悔過(けか)」という儀式だと言われています。 十一面観音は、菊理媛神(キクリヒメ)の本地仏とされています。

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    にしたびつれづれ ~7/19 京都編~

    7月19・20・21日の三日間、関西へ旅に行ってきました。 以前会津にもいらして頂いた京都のセレーナMariaさんが今後演奏活動に力を入れるため、エネルギーワークなどのセッションを縮小されるとのことで、この期に西旅を兼ねMariaさんの所にお伺いすることに。 ↑京都へ向かう途中、SAから見たお山が素敵だったのでパチリ。良い形♡ 初日、Mariaさんのお宅にお邪魔してセッションを受けました。セッション中に、鹿みたいな映像が浮かんでくるわ…と思っていたら、デイダラボッチ=シシガミ様のようなものがMariaさんのほうのビジョンにもがっつり登場していたよう。デイダラボッチ、シシガミ様…きっと自然そのものや、古代の自然神などを象徴するイメージじゃないかなと想像しています。 で、20日もMariaさんとお仲間達とご一緒させて頂くことになっていたのですが、このシシガミ様に関わる場所へ行くこととなりました。こちらは奈良編に続きます。 セッション後、近くの素敵なイタリアンで美味しいランチをご一緒させて頂き^^色んなお話をさせて頂きました。 その後、近くの月読神社とレムリアの森をご案内して頂くつもりでしたが、月読神社でMariaさんにお導きがあり。夕方、お会いする予定だったYさんと石清水八幡宮でお待ち合わせすることに。 石清水八幡宮の麓に到着すると、麓の高良神社の祭礼で太鼓祭りがとり行われていました。 お天気は小雨に雷鳴、太鼓の音と合わさって雷鳴がますます大きくなってゆきました。まるで神々が集まってきてるみたいで、雷嫌いじゃないのでウキウキしちゃった。笑 初めて訪れた石清水八幡宮、町中にあるのだと思っていたら、かなり木々がモリモリな山の上にあることを初めて知りました。 その昔は、石清水もデイダラボッチが悠々と歩いていたんじゃないかな。 きっとそういう所だったんだろうな~。 山を登る途中で、清水社でMariaさんと歌を。 ご祭神は天之御中主命。ミナカヌシさん、ニュートラルな感じがしてなんとな~く好きな神様。後ろにはデイダラボッチのような大きな大きな木が見守っていてくれました^^以前、Arganzaの古代の扉2学期で最初に受け取ったビジョンで、これがガイドブックだよと、机の中に紫色の綺麗な装丁に赤い九曜紋が入っていたのが見えたのですが九曜紋は妙見信仰、妙見信仰のご祭神は天之御中主。そこから気になる存在でありました。 天之御中主命はArganzaのAmariさんとヴァイアマスかもね~とちらっとお話してましたが、Mariaさんは天之御中主がシシガミ様っぽいと。あ~!なんかでもどっちも分かるなあ~。ようは呼び方が違うだけで、エナジーは一緒なのかもですね。 頂上で無事にYさんと合流できました^^ この日、Yさんとは初めてお会いさせて頂きました。3人で石清水の神様にご挨拶させて頂きました。ご本殿ではご神職の方がちょうど祝詞をあげておられました。 若宮殿の前でもう一度ご挨拶。 お参りが済む頃には、空も綺麗に晴れていました♡Yさんがお気に入りだというご神木さんにもご挨拶させて頂き、こちらでも歌を。 Yさんと別れた後(弾丸でしたがお会いできて本当に嬉しかったです!)麓のお茶屋さんで美味しい和菓子頂きました。これ、もう一度石清水来ることあるならもっかい食べたい。名物の走井餅とわらび餅、そしてお抹茶美味でした♡ Mariaさんに新田辺の駅まで送って頂き、宿をとった奈良へ。 途中、夕焼けに染まる平城京の朱雀門が目に入ってきて。ああ、絶対この景色見たことある・・・とうるっときちゃいまいした。お宿にチェックインの前に、どうしても興福寺から夕焼けが見たくってお散歩。 お宿についたら、宿のご主人が琵琶を弾いていらっしゃいました。祇園精舎を生で聞けたよ♡ にしたびつれづれ 奈良編に続きます☆ ↑石清水八幡宮でMariaさんとパチリ^^ ありがとうございます☆ Anna