越谷市に住む、死んだ祖父の一番下の弟「のぶおじちゃん」が入院したと、つい先日、父に連絡が入り、先週末お見舞いに行ってきました。 父は一人っ子なので、父方の親戚づきあいというのは、私たち姉弟の代では希薄で、名前も良く知らない親戚が多いのですが、「のぶおじちゃん」は小さい頃からお世話になっていて、祖父が小学生の時に亡くなっていることもあり、私たち姉弟にとって祖父のような存在でした。話し上手でユーモアがあり、会うたびに仙人のような格言を一言「置いていく」ような人で、年に1度おじちゃんが会津に帰省するのを楽しみにしています。 ちょうど1年前に会津に来た時も80代半ばなのに夜遅くまでたっくさんお酒を飲んで喋って、元気だなあと思っていたのですが、突然の入院の知らせ。想像していたよりかは元気な表情を見れたので、少し安心しましたが、喋ることや食べることが難しくなってきているので、とても心配です。 知っている人がある日亡くなっても、自分は泣いたりしない冷たい人間かもしれないと思っているところがあるのですが、それでもいなくなったら寂しいなと思う人は何人かいます。元気になったのぶおじちゃんと、また美味しいお酒が飲みたいな。 あの頃小学生だった私も今や30歳を過ぎてしまって、時が流れたんだなというのをしみじみと感じています。会いたい人には会ったほうが良いし、やりたいことはやったほうがいい、悔いを残している場合なんかじゃない、と言葉にするとだいぶ陳腐だけど、本当にそうなんだよなあと思います。黙っていても時は流れるから。そういう意味で、のぶおじちゃんは「時」の使い方が上手い人なんだと思います。だから一言に重みがある。全く同じように生きることはできないけど、彼のように上手な「時」の使い方ができたらいいなと思っています。 越谷でのお見舞いの後に、一緒に付いてきてくれた彼氏と行きあたりばっ旅をしてきました。越谷から千葉県は野田市へ、野田では櫻木神社という神社へ立ち寄りました。たまたま看板を見つけ立ち寄った場所でしたが、大変立派なお社で、とても気の良い場所でした。藤原氏が平安時代に創建した野田市最古のお社だそうですが、境内からそれよりも古い時代、古墳時代前期に玉類を作っていた生産工房跡が出土したそうです。 そこからさらに利根川の流れに沿って海まで出ました。鹿島灘。5月の海、大変美しかったです。 一泊して、茨城では魂の故郷のひとつの鹿島神宮や、鹿島の元宮である大生神社、坂戸神社、沼尾神社に立ち寄りました。鹿島神宮には前日の夕方、誰もいない境内を散策できたのも良かったです。次の日は雲一つない青空で、木漏れ日が美しく揺らめいていました。どのお社も緑のエナジーが爽やかで本当に心地よかったです。 最後は大洗まで北上して、磯浜古墳群を見て、そこから帰路へ。帰りの空にずっと不思議な雲と彩雲が出ていました。 時空を越えた旅をしてきたようなそんな感覚、また少し自分のエネルギーが、微細に変化したような気がします。流れゆく時と、そして時の狭間にある永久と。私たちはその二つを感じながら前に進んでいくのだと思います。出会うすべてに感謝しながら。 玉響(たまゆら)=勾玉同士が触れ合ってたてる微かな音のこと。転じて、「ほんのしばらくの間」「一瞬」、あるいは「かすか」を意味する古語。 wikipediaより