ブログご無沙汰しております。 写真は先月訪れたいつも行っている南会津の水晶の川の上流の写真です。下流でも水晶は拾えるのですが、上に行けばいくほど、たくさんの苔むした大きな岩の隙間に細かい水晶がびっしりで、眼福でした。更に上流は滑沢になっていて、ずっと山頂まで続いていました。地元の人以外、誰も知らない沢だと思うけど、面白い場所です。 実は先月、母方の祖父が亡くなりまして、慌ただしい日々を送っておりました。祖父は80歳になるまで病院に全く行ったことがなくかったのですが、数年前に調子を崩してとうとう病院に行った時に、はじめて腎臓の片方が機能していないことが分かり、もう片方の動きも悪くなっていることが分かったのでした。私も腎疾患を持っているし、じいちゃんの兄妹にも透析してる人がいるから、家系なんでしょうね。 重度の腎不全だと分かった時点で、透析はしないと決めたじいちゃん、家族はやきもきしたけど、それでも5年ぐらいは元気に暮らして、今夏魂は天へと還っていきました。今頃好きな温泉入って、好きな山を駆け巡っていることでしょう。ある意味大往生だったと思うから、そんなに悲しくはない孫その1です。笑 去年、じいちゃんの住んでる町へ、彼氏と一緒に引っ越してきたので、しょっちゅう彼氏と一緒に訪れてじいちゃんと色んな話をしました。今まであんまり聞いたことなかったけど家の歴史が知れて面白かったな。母方の家系はA栁(隠れてない・笑)と言って、新潟は三条あたりから江戸時代のはじめぐらいに今の土地に移住してきたらしいです。お隣の家も一緒に新潟から移住してきたそうな。学生のころは新潟に住んでいて、何かと新潟にご縁があるのはそのせいかなとも思ったりします。 冒険好きで、山や山菜や、温泉、庭木や石が大好きだったじいちゃん。確実にその系譜は私にも受け継がれています。じいちゃんの庭には国鉄職員時代から通った只見や奥会津、その他の場所で拾った石がたくさん転がっています。いぼ石やジャスパーは形見にもらいます。笑ちょうどじいちゃんが危篤になった日に私は写真の前述の南会津の山に入っていて、この3つの石を拾っていました。 山から降りてきたら母から連絡があり、病院へ急いだのですが、もう言葉も発せない状態だったけど、山に行ってきたよ〜って声をかけたら目が煌めいた気がしました。 人1人が生きている時間というのは地球の宇宙の膨大な歴史に比べたら本当に短い、その中で何を選んで誰とどのように関わるか、最近そういうことを強く意識します。そして自分の三次元の肉体としての、家系や血や歴史のことも考えます。自分に流れる血に決して縛られず、でもこの”在る”ものをどうしていくか。データとして歴史と血を学ぶ。私はどのようにできるだろうか?石たちに問う日々です。 そんなわけでこの頃はほぼ毎日、会社ー実家ー祖母宅ー自宅を行き来しておりあまりにも忙しかったのですが、来週ようやく四十九日を迎え、切り替えて仕事に向かえそうです。 只見の面白い沢にも行ったし、ブログもまたいろいろ書きたいな~~。神社トークもしたい。笑 今日も良い1日でありますよう。