連休後半はお休み返上で出勤していたのですが、最終日は某様と福島県須賀川市の桙衝神社へ。
(今回は写真あんまり撮らなかったので一部以前撮ったものを使用してます*)
鉾衝神社は亀居山をご神体山とした神社で、
ご祭神はタケミカヅチとヤマトタケルの二柱。
神名帳考証では穗己都久命(ほこつくのみこと)というワダツミの孫で安曇族の祖にあたる方が祭神となってます。


本殿背後の山頂突端部分に要石と呼ばれる磐座がありまして~、
そこから古墳時代後期の祭祀遺物が出ているそうです。
神社の詳しいご由緒は大火で焼失してしまったようですが、弘仁12年には弘法大師がやってきて亀居山上の厳石に「不動」の梵字が浮かび上がったことから、霊地とし、麓に長光寺(現:長楽寺)を建立したなんていう伝説もあるという歴史ありげな神社です。江戸期には鹿島神社と呼ばれていたようで、山門には鹿島神社の表札が。
そうそう長光寺の弘法大師ですが、長光寺から丑寅の方角に夜な夜な光る塚があるから、怪しいと思って掘り起こしてみたら神鉾が現出したので秘蔵して、祭神のご霊代として崇めたそうですよ。
しかも清和天皇の御代には蝦夷討伐で蝦夷人を殺し過ぎたことの、怨霊の崇りを恐れ、色々な所で祈祷したらしいのですがね、この長光寺でも衆を集め読経して、経典や法具などを埋めたそうです。
ご神体山の亀居山ですが、
麓・中腹・
ところで私の中でヤマトタケルは東征したヒーロー(関東・
実は「タケル」
そう仮定したとして、きっとタケルズ(笑)達の中には、阿弖流為のように最後まで徹底抗戦の人もいただろうけど、中央に屈して仕方なく同族と戦うことになった人もいたのかもと妄想してみました。でも中央の蝦夷・東国・辺境経営の歴史と切っても切り離せないのがタケルさまかな。
東北のタケル関連の場所を巡っていると蝦夷の抑え…もともと蝦夷やそれらの人と融合していた人々の聖地であった場所に、中央からの圧力があったように感じます。抑えとしての神もしくは巫女は同族でなければならなかったのかもしれない、なんて妄想してしまいました。
某様からのご意見もあり、色々と妄想が広がりました。
そして某様のおかげで、鬼瓦がリアルすぎるという新たな発見もw

上の磐座、私にとっては大変心地よいのですが、
ともかく、古代の息吹を感じる場所です。